去年は「アヒルの子」がそうだった。
観終わった後、やっぱり動けなくて、お連れにお茶とか買ってもらったりしてた。
色々とネタバレになるから書けないが、ようするに、現在は精神病院が一つもなく、地域で組合などを作って受け入れているイタリアのバザーリア法成立した後の80年代、実話を元にした映画だ。
主人公が、病院から出て、日本でいうとやる気のないデイケア施設みたいな組合所で毎日おだをあげている元入院患者たちの所に来て、仕事を作って皆でマトモに稼いでいく話しだ。
個々人の得意なこと要素をそれぞれプラスに使って。
まあ、実話ベースとはいっても、フィクションだから、夢だ。
都合のよいとこばかりきっとピックアップされてるというか、早く展開されてる。
実際にはもう、もっともっと関係を作っていったり、仕事を営業していったりするのが本当いろいろいろいろあるのだろうが(デイケアで指導したり、シゴリエスタッフまとめて営業したりしてた自分にはもう本当に…なんというか)、どんどん進んでる。
ハッピーな部分も。
「元患者たち」たちの当事者性ならではのワガママだったりすれ違う部分とか。
そして主人公のいいかんじに、いろいろ受け入れながらスルーしたりする部分も、ああそうだよねと。
途中、色々ショックな出来事や、多々あるのだが、そして「真の自立」に奇しくも向かっていくのだが、僕は、主人公に感情移入しすぎた。
というか、元シゴリエ代表(元、と言わせてもらおう)の自分にとって、主人公以外の何に移入する!?
一箇所の部分で、泣いた(最後に近い部分だ)
「引っ張り役」も、人間で、それ以外の人たちも、人間なのだ。
いろんないろんな場面が、本当に思い当たりありすぎて、でもこれが「ただの夢のフィクション」でなくて、実際イタリアではずっと起こってきたことだろうと思うと、なんというか、希望が持てるようでもあり、やりきれなかった。
「引っ張る人間」とは、ようするに「逃げないこと」だ。
それは仕事に対しても、関わることに対しても。
関わりから逃げない。
今日、詳しくはまったく書かないが、この映画を観に行ったプロセス、状況的にも、シンクロというか、感慨深いものがあった。
「引っ張る人間」も「それ以外の人間」も、完全に対等で、役割分担なのだ。
カウンターで、助けてほしいし、愛されたい。
観てもらえないと、ネタバレになるので(色んな展開がどんどんあって、少しでも書くとネタバレになりそう)、書けないし、公式サイトや予告動画みたいな「きれいごと、ハートフル」な映画でもない。
本当に、キた、参った。
ねえ逃げないでうまくいくことは、人生の意味なの??
わからないよ。
この映画には希望と絶望と夢と現実がある、「ニート」と呼ばれるもの、「メンヘラ」と呼ばれるもの…たちに対して。
シゴトノアトリエや、僕に、反感や期待、失望や共感を持つ人は、観に行って、いつか自分に聞かせてほしいな。

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