2012年5月16日水曜日

Aさんのこと

某精神科のクリニックで、空手を教えている。

その中に、今年に入ってから加わった、Aさん(仮で、イニシャルですらありません)というメンバーがいる。

Aさんは、最初は力を入れることもできず、パンチも本当にぶらっと手を前に出すだけだった。
足も。

もどかしそうに、すぐに息を切らせながら苦しそうに何度も打つのだが。

最初は、よくある、体力の無い人かと思った。
たくさんいるのだ。

Aさんも、深刻な依存症からの治療のため入ってきていて、やせていて、皆にからかわれていた。

ただ、やる気はあるので、僕は「がんばってね」と思っていた。

二ヶ月ほどたって、躁転したのか、パンチに力が入るようになってきた。
ただ、ラッシュしかすることを知らず、ただ闇雲に。

フルコンタクト空手なので、顔面への手による攻撃は無いのだが、ボクシングのようにあてようとしてくる。
おそらくコントロールができないのだ(もしくはとてもしにくい)

がんばっていて、コンビネーションなども本当につたないながらチャレンジしているので(むずかしいものも)審査を受けさせて、がんばりを評価して級をあげた。

1ヶ月ほど前、なかなか顔面にパンチや、金的へ蹴りをしてしまうのがなおらないので「A!」と怒鳴って注意した。
ライトスパーリングで、もろに顔面に当てたからだ。

空手の約束稽古で、顔へ来ない練習の時に、いきなり顔で、しかも当ててくれば、相手はびっくりで、下手をするとケガをしてしまう。
さすがにきびしくしたほうがいいと思った。
彼はものすごく恐縮して、僕に、すみません、すみません、と言った。
相手に謝りなさい、と僕は言った。

皆も苦笑だった。
笑うのはやめさせた。

コンビネーションをおぼえようとする時も、(以前はもっと、皆)笑っていた。
そういうことだけは、生徒が年上だろうが、なんだろうが、僕はかなりきびしく注意した。
その時にも周りにも言った。

「Aさん、Aさんはもう白帯(無級)じゃないのだから、白帯の人には、教えてあげながら、やさしく相手をしてあげなければいけないのだよ。そのために、それができると思って、級をあげたんだ」

Aさんは、前々回くらいから、初心者相手には、すごく教えてあげようとしていた。
間違っていたけど。
相手も通じてるかわからないけど。
まわりは半笑いのかんじで見ていた。

僕はいいと思っていた。
彼がいることで、場もなごむ。
なにより、がんばっていることは皆にも伝わるので、そういう人がいてもまったくいいと。
(スタッフは、色々禁止させたりさせようとしてたが、僕は止めた)

今日、空手は2回目くらいの人とライトスパーの時に、腹を効かせて後ろに転がり倒してしまった。
あいにく、皆でいっせいにやっていて、僕も目をつけていられなかった。

僕は言った。
「帯(リストバンド)を一時預かります。保留にします」
Aさんはとても悲しそうな顔をした。
すみませんすみません、と言った。
「僕に言うのですか?」
やっと相手に謝った。

「Aさんには、本当に強くなってほしい」
もう怒鳴るのはやめて、落ち着いて言った。
「反則をしてしまったり、加減をできないということは、強いということではなく、下手なのです。上手くなってほしい。上手くなるということは、相手を傷つけすぎないことだし、自分も傷つけられすぎないということです。
ゆっくりでいいので、相手をいたわり、自分を守れるようになってほしい。
僕が、オレンジ帯(バンド)らしくなったかな、と判断したら、返します。
それまで、預かります」

Aさんは、土曜日のボクシングのクラスでも、講師にレッドカードを出されてしまっていたそうだ。

「僕も、以前、試合で何度も顔面の反則をやりました。実は、相手の歯を折ったこともあります。当然、負けです。試合では勝っていても、負けなのです。当たり前です。ルールというのは、相手と自分への思いやりなのです。
上手くなってください」

今日は、ガチのスパーリングで、同じくらいの年齢の人と、対戦させた。
最後にローを効かされていて、判定では負けだったが、手数は上で、がんばっていた。

帰る時に、「帯は(もう、今)返してもらえるんですか」
と言ってきた。

彼は、依存症の後遺症か、今の薬の副作用で、正直おぼえていられないのだ。
「なんで帯が保留になったか、おぼえていますか?」

「いえ、おぼえていられないのです」

「どうして、保留になったと思いますか?」

「…反則をしたからです」

「反則が少なくなって、オレンジ帯らしくなったと僕が判断したら、お返しします。でも今日の試合はとてもよかったですよ。こりずに、強くなりましょう、また来週来てくださいね」

彼は、面倒な生徒だろうか?
目を離せず、空気もよめず自分の動きもコントロールできず、言ったことはすぐに忘れてしまう。

僕は、彼が、他の生徒たちにとって「やさしさ」を教えるためにとても大事だと思っています。

彼とスパーリングする時、彼のミットを持つ時、彼と型を練習する時、自分が気をつけてあげないと、彼は反則もしかねません。
声をかけたり、力をぬいてコントロールすると、Aさんも反応できるようになります。
彼はがんばっているだけでなく、不器用なことで、まわりは「彼とスパーリングする時に自分が見につけておきたいこと」「このように声をかけたり、接してあげれば、冷静になりやすく、反則もしないこと」
をおぼえていくのです。
それも、強さ、なのです。

彼も、強く(やさしく)なってほしい。
皆も、やさしく(強く)なってほしい。

いつか、彼も卒業するでしょう。
その時に、思っていてほしいと思います。
必要のない人間はいないということを。

誰だって、そうだと思います。

ここ数日

ちょっとここ数日、地に足がついていなかった。

数日前に、友達が死んで(自殺)いたことを知った。
正確には、1年前のその日が命日で、共通の知り合いがそのことを言うまで知らなかった。

(彼は)2年くらい前に実家に帰っていて、遠かった。
だけど1年前の僕、1年間の僕は、彼のことなど完全に頭になく、自分のためだけに生きてきた。

これからもそうするつもりだ。

だけど知らないうちシャットしていた。

まったく別の件で、そのさらに数日前、若い友達と話してた。

「遠藤さんは、なんで活動やっているんですか?」

「(もうほとんど動いていないけど)今はほとんどやっていなくて、とくにこの1年、自分のこと、自分のために生きることにしようとしていたんだよ」

「どうしてですか?」

その人も、彼の分野で活動していた。

「だけど、以前の活動は『自分がやらなきゃ、誰がいったいやる?』というかんじで動いていたんだよ。けど、色々な出会いがあって… 

僕は自分に自信がなかったんだと思う。
だから、その活動をすることで、自分の”アイデンテイティ”のようなものを、そこに置こうとしていたんだよ。
僕は、その活動で、ミッションで、それが生きる意味。
だけど、そうじゃなかった。
僕は、誰かと本当に相対する時、一人の人間で、愛されたくて、自分の思いに従って、生きていきたい、人だと思ったんだよ」

「僕も、自分がそうかもしれないと思っています」

友達が死んでも、人生は続く。
僕は僕のために生きていきたい。

だけど…

僕が自分らしく生きることと、あなたと共に生きることが重なりあえないでしょうか。

ずっと、ずっと、ずっとそのことを考え続けてきている。


取材で、ある人と話していた。

「制度に保証されなくても、自分とその人が、関係を作ることに合意しあって…相手を疑うかもしれない、自分がわかってもらえないと思うかもしれない。
でも、そこで『一緒に生きていくんだ』と誓いあったよねと、振り返って、相手を信じること。

それまでに、二人の間で、築こうとしている関係はどういうものか、どんなふうな関係にしていきたいのか、確認しあって、話し合って。たがいにわかったり、わからなかったり、そんな関係づくりを続けていこうと、二人で誓いあうんだよ。

それが、結婚式」

(相当、僕の現時点での大意で書いています)