2016年9月29日木曜日

社会不適合者のImagine

想像して 合わせなきゃいけない決まりなんてないと
やってみれば簡単
したがわなければいけない決まりなんてなく
あるのは自分の意思だけ
想像して 無理やり合わせられることなく笑顔で生きているすべての人々を

想像して やらなきゃいけない仕事なんてないと
難しくはない
がまんすることも、知らない誰かのためにお金を稼ぐなんてこともない
そして納得できないルールもない
想像して 自分自身が大好きで満足して生きている人々のことを

非現実的だと君は言うかもしれない
だけど、僕は一人じゃない
いつか変わろうとすることこそが現実となって
日本は元気でいっぱいになると願う

想像して 自分だけが幸せになれることはないと
君はできるだろうか
愛されたいがために支配や暴力を行使することもない
敵こそが友だち
想像して 自分は死んでも子どもたちは生きてゆくと、未来のために切り開くすべての人たちのことを

いつか君たちが僕たちと握手してくれることを願っている
そして、心は一つとして生きていくだろう


2016年9月28日水曜日

遠藤一は(2016.9Ver.)

遠藤一は

思わぬやりたいと思えるアイデアが浮き出てくる
淡々と、けれど楽しく一線級の空手稽古をし続けられる
自分のことに頭をおかずに目標、そして相手のことを考え声をかけられる
いつも思わぬ新しい、やりたい、自分からしたい!と思えることに向かって動き続けられる
自分のときめきを第一優先に置き、実際にし続けられるアイデアが浮かんでき続ける
しようと思うことに自分の力が足りなかったら、ためらわずに断られることもコミュニケーションと思って人に頼もうとすることができる
楽しいことを自分で作り出せる
相手が欲するものも考え想像したずねる、それをふまえ交渉することができる
周りの人皆を笑顔にすることができる
やってからそれに対して反省することができる

あとは書いてるうちに忘れました!
またつけたしていきます(きっと自分の中で)


2016年9月14日水曜日

自分の反省を書こうと思う

自分はどこか上からで、それでいて動いてくれればいいなと願う依存主義だったと思う

たとえば、8、9年前に社会起業を取材し世に出そうとした
実際コンビニに並ぶ雑誌等にも載せた
他もそうだ、鬱と運動、格闘技との関係、また社会問題当事者の起業や活動など、「皆こうなってくれればいい」と思うものを載せた
しかし、それは啓蒙的で他者依存的に過ぎなかった


誰か自分以外がやればいい、よいように感動して動いてほしいと

実際事業を起こそうとした時もそうだった
自分に何の経験もないのに、集まってきた人らに「こうすればこうできるはず」と動かそうとした
どこか甘えていたのだ
自分が本当には動かなくても、旗を振り見せるだけで他は動き変わっていくだろうと

結局すべて何も変わらずライターとしてはモチベーションを落とし、事業運営としては実質数ヶ月で分解、その後補修の目処もつかず口だけでダラダラやり挙句完全にストップした
振り返りやり直しの仕方すらわからなかった

傲慢でうぬぼれていて、そのくせ自信がなく他者依存的だったと思う
そうでない自分の理想とのギャップが自分を苦しめた

だが方向としては間違ってはいなかったと思う
反省を認めるのに何年もかかったが
もっと汗をかき恥をかいてもおそれない、いやおそれても泣きながらみじめでも自分で動く人間になりたい

私は本当にバカだったと思う