2015年12月27日日曜日

レンタル~の養成講習をするとしたら



レンタル空手家は、くすぶっていましたが、その間、何人か代わりに教えてもらったり
伴走稽古者志望の人たちと会って実際にやってもらったりして
まったく得るものがなかったわけではありませんでした

自分は個人的に、レンタル~(格闘技系でもスポーツでも可)には講習がいるなと薄々思っています
もちろんそれは、それぞれやってきた人たちに対して、えらそうではありますが
やはり、普通の道場やジムで、ただ一緒にやったり教えたりするのとは
「相手」が違うのです

彼らは、ある種重いトラウマや病状的な自信の無さ、自分では何ともできない衝動性や落ち込みを持っていたり、発達障害と鬱が絡んだ人も多いっです
道場やジムには、(少なくともその状態では)やって来ようがない状態の人たちなのです
なので、目的も違えば、「常識」も違います
10年引きこもっていて、「強くなりたい」とベタに思える人はいません
自信の無さと周りからのプレッシャーで徹底的に押しつぶされてきたからです

一見、身体には「障害」や「制限」が無いように見えて、もっとがんばろう!と(普通の人ならやる気の出る範囲の)若干の無理をかけさせると、彼らにとっては、ベンチプレス100kgに相当する場合があります
捻挫や怪我をするのです、身体ではなく、精神に

「弱者」とことさらに見るわけではありませんが
道場やジムに来る初心者とは、まったく違う人という認識が必要だということです

(実際、自分のやり方も問題があるのでしょうが、「卒業」して、他の道場に入り、ある程度までいった人はたった一人
他、自分の道場にも来た人もいましたが、一月で消えた人と、1年だけもった人のみでした
中には、ものすごく熱心ですが、幻聴や身体の後遺症などで、一般の道場には馴染みにくいだろう、という人もいます<もちろん、そういう人にも親身になってくれる道場もあるのは知っていますが>)

講習、といったのは、どう行っていいかわかりませんが
たとえば

1・強くしようとするな
2・大丈夫です は大丈夫じゃないと思え
3・一方的に目標を決めるな
4・自助グループのつもりで行け
5・最初の5回は、稽古よりもおしゃべりが多いくらいで良し(一方的にしゃべってても可)

みたいなものが、ちょっと思いつくだけでもあります

つい、自分も、普通の人や子どもに教える時のようにクセが出てしまいます
だから、自分のためでもあるのですが

1は、「強くなりたい」と言ってくる人は、まずいません。言える人は、道場の門を叩けるからです
無意識でそう思っていても、「自分の強くなった姿」は、ある種受け入れにくいものでもあります
どうせ、続けていけば強くなれるのです
だから、最初は「安心感」(ここで稽古していても、何も否定されない)、そして「日常でのわかりやすい変化(毎日走るようになった、ご飯を食べるようになった、笑えるようになった等)」を、念頭に置いた方が、全然やろうと思えるのです

2は、苦しそうだったら、最初のうちはとにかくストップを入れてしまうことです
それも、「体力の無さでストップした」と思われないような
これは色々慣れてくるとやり方があります(教えてる人はわかると思います)

3は、自分の気持ちを言えない、もしくは本当にわからない人が多いということです
だとしたら、「僕と毎週会う」くらいでもよいのです、一ヶ月の間くらいだったら
意外と、目標を頭におくより、最初のうちは続けて習慣になることが、本人の満足だったりします
「したいこと」「なりたいこと」を聞き出せないのは、こちらがまだ信用されていないこと
こちらをまずどんどん開示して、自分のことしゃべり倒してください

4、5はそれにまつわることで
4は、できれば教えるのはメンタル系に自分も思い当たる部分がある人がよいのですが、そうでなければ、居酒屋でグチりあう、みたいなノリでかまいません
僕など、いきなり会った瞬間に「もう今日超死にたいんだけど」とか言ってしまいます
実際死にたいからですw
日常にまつわるグチ、弱い部分を聞いてくれる人として垂れ流し、相手が自分から言ってくるのを待ちましょう
それが、「自分からいく、攻撃」のきっかけだったりするのですから(最初は本気で殴れない、声を出せない人もいる)

5もそういうことで
「よーしこいつを強くしてやろう」
というのは、おかど違いというか、いかに伴走者が
「ダメで」
「自分を出しても否定されなそうで(説教しない)」
「共感を得られそうか」
ということです
そのためには、格闘技やスポーツの技術自体は二の次です
とにかく「相手生徒はカウンセラーだ(自分が、ではない)」くらいの気持ちで
こちらから信用し、頭を低くし、こちらがリラックスしてしまうのが一番よいということです


いっきにダラダラ書きましたが、普段教えてる人にとっては、若干の応用だと思います
ジムや道場の生徒の中にも、「問題児」だらけだからだと思うからです
それに一段低くして、「何も期待しない」レベルまで落とせるような
ヒキやメンヘラの人たちを好きになれるような
そういう講習を作れればいいなあとは思いますが
まだ先の話だとは思います

2015年6月18日木曜日

21日全四国出ます@善通寺市民体育館

http://ryushin.server-shared.com/

一般男子無差別上級 (紘/史 名義)

トーナメントを見ると、見る人が見ればわかると思うのですが、かなり実験的というか、歴史的?な大会になっています
これからこうなっていくのでしょうか
素晴らしいことだとは思いますが

その中で!!
全力でがんばってきます!!!!!

2015年5月21日木曜日

2015年4月2日木曜日

4/5(日)新極真さん全関東(横浜文体)出ます

http://shinkyokushinkai-kimotodojo.co.jp/

第20回オープントーナメント全関東空手道選手権大会

開催日時
2015年4月5日(日) 8:45開場/9:30開会式

会場
横浜文化体育館(神奈川県横浜市中区不老町2‐7)
JR京浜東北線 関内駅南口より徒歩4分、横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町より徒歩4分

一般男子 軽量級 遠藤(紘/史)芦/原/会館西/山/道場 です

よろしくお願いいたします
がんばります!!

2015年1月13日火曜日

進路に悩んでいる

(オチはありません)

自分は本気出せば、ライターの中でももう少しいい所いけると思っている。
その「本気」とは、精神的体力的に、調子のよい若干イケイケながら、安定している時だ。
だが、自分は、空手の稽古で出し切らないと、鬱や考えてしまうことをどんどん抱えて、身動きがとれなくなってゆく。
それも「健康のため」みたいなレベルではない。
徹底的に追い込んで息を上げて「これ以上できない」と一人では思うところを、さらに限界を超えて終わらなければスッキリ自分と出会えない、そういう類のものだ。

それでやっと、その日と、次の日スッキリと精神的に日常を動ける。
しかし、それはものすごく体力を削り、体力以外もエネルギーを注ぎ込むことだ。
トップと一緒に行うメニューの選手稽古なので。
それで、満足に日常フリーのスケジューリングが守れず、外に出す仕事のエネルギーも、稽古に持っていってしまう。

自分は35歳になった。
もう、ライター業で結果を出すとしたら、ラストチャンスの数年間だろう。
しかしそれと同時に、フルコンタクト空手の、結果を出すのも、同じ時期にまるかぶりだろう。
自分がこの時期、何年か離れて、戻ってきて一線に復帰できるとは、とても思えない。
ぶっちゃけると、数ヶ月、でもだ。

だが現実問題、ライター業に集中するといっても、空手で精神的に安定、ポジティブにさせない限り、絶対にうまく進むことは無い。
それは、今までの経験でものすごく味わっている。
だから、選択肢としては

・完全に空手ではなく、他の「一線を張らない(フルコンタクト空手では完全に全日本クラスになってしまっている)」競技

に趣味として行い、精神の安定を保ちライターをする。

キックやボクシング、打撃系のあるフルコンタクトはまずダメだ。
絶対に試合したくなってしまう。
結局は自分は、戦いたいのだ。
じゃあ柔術などか?
だが自分は打撃がしたいのだ。
人を殴り蹴り倒したいのだ。

マラソン、ボルダリングなど個人でできるスポーツ…。
それやるくらいなら空手だろ???

・空手の強度を落とし(一般の試合からは外れ、もしくは高レベルでない試合には出る程度に)、週2回、スパーリングクラスだけ、とか(だいたい同年代の元選手とかも、そういう方向にいってる)

だがさっき書いていてわかったが
自分は戦いたいのだ。
どうしても。
自分の中にある、納得いってないものが、全力の世界に自分を持っていけと、胸の中から呼び起こすのだ。
そうだ。
だって今ひいたら、今妥協したら、自分の死んでいった友だちたちに顔向けできない!!!!!

なぜそうなるのか、よくわからないし、死んでいった友だちたちだって「遠藤くんの好きに生きろよーもっとラクでいいんだよー」と言うと思う。
だけれど、自分が戦う時は、根本的には、何を思うかというと、自分の周りのつらいやつのことや、そういった無念のやつらのことだ。
もう本当に、何かわからないけれど、胸の中の下のほうから
「まだ全然果たしてないんだよ!!!」というものがせりあがってくるのだ。

自分は強くなりたかったのだ、なんというか、納得がいかないこの世界に、身一つでブチ当たるという原点無しには、すべてが嘘くさいし、強くなって、彼らに圧迫していた現実の、なんというか、倒して納得いかないと、ブチ倒して、上から見下ろして、やっと「こういうやつだったのか」と納得いかないと、逃げている気がするんだよ
痛みが、彼らの受ける痛みを、僕は身体に実際に受けて、それでも、圧倒的にその相手より強い力を得たいんだよ

よくわからないけどな

・空手の強度をそのままに(だがいつまでもやるというのではなく、期限を決め)、なんとかその期間、思い切り日常にも整理、集中して、ライターとしての業も同時進行で、他のものは全て捨てる期間で、行う

はっきり言ってこれしか思いつかない
結局こうなる

もう他の選択肢は
「・このままダラダラ同じように、ライターも中途半端で、空手も悩み嫌いやながらやる」
というのしかない、これは、選択肢とはいえない(現状維持→マイナスだから)

5月に一番大きな全日本がある
それに全て怨念も憎念もぶつけ、出し切るつもりで、後悔ないようにくらい、練習しよう
そして、同時進行で、ライター業も、キャリアとなるくらい、先に(空手をやっていなくて調子がよいという条件と同じくらい)やっていこう
それから、生活を維持できる暮らし

ただし、他のことは全てドブ捨てだ

だがこの選択肢は、実は自分が今まで何度も何度も決意したものだった
本当は、最初は32歳のウエイト制だったし、直近ではハンガリーの大会だったりした この前の11月の大会だったりもした

だがそれくらい命をかけて望めていただろうか?


迷う、進路に迷う

自分にとっても進路の意味は、本当は覚悟の強さ、深さ、なのかもしれないが…

いったいどうすればいいのか、今日も目先の仕事をこれからも行う


■追記:
・完全にライター業などは二の次にして、とにかく次の集中するその試合に賭ける!という試合にその期間だけは集中する

というのもあると思う
だがこれは、実はもう何度も何度も何度も何度も行っており、しかも、空手だけに集中すると、自分のほかの生活が空疎すぎたり、もちろん収入もか細くなりすぎてしまい、結果的により栄養失調や、鬱になるのだ

だから、いつも残るのが、上に書いた最後のやつになる

2015年1月11日日曜日

1for1マラソンと武道(スパーリング)

昨日ははじめて自分も1for1に走ってみた。
相手は元自分の生徒で、入院などしていてブランクがあるうちに運動をしなくなり、鬱ってきたので参加を申し出てきた。

彼のペースは自分よりも早い。
自分は、気持ちよくゆっくりずっと走る、というペースが、ものすごく人より遅い。
登山などでもそうで、よくびっくりされる。

ずっと彼に先行されていたので、「ちょっと落としてもらえないかな」と言ってみた。
実は、自分のラクなペースをゆるめ、遅いほうにあわせるというのは、実はきついのだ。

ぶっちゃけると自分のほうが体力があるので、「遅くしてもらうと、キツくなってしまうので、(余裕のある)自分が早めて彼に合わせたほうがいいかな~」などと思ったが
この1for1マラソンのルールは「遅いほうに合わせる」
なので、彼に合わせてもらっていた。

自分も身体があたたまり、もう少しあげてもいいかなーと思い(2km弱くらい?)
「Sさんのペースに合わせますよ」と言って、スピードを上げてもらった。

それでも、実は解決ではなく
「運動不足の彼のペースは変わることもある。スタート当初のペースを維持しようとしていると、余計にきつくなってしまう」
からだ。

だから、彼のペースとはいえども、無理してないか(僕のほうが体力があり、ついてきてくれることがわかっているから)ということを、なんとなく気にしていきながら、自分は走っていきたいとは思った。

息の乱れ方とか、会話の調子とか、手のふるえとか

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僕の知っている格闘技をやっている方で、自宅を開放してスパーリングの機会を作っている方がいる

それは、色んな総合からテコンドーまで様々な人が集まって、決して相手をケガさせることなく、相手の技を楽しみ、それによる自分の技も楽しみ、化学反応を楽しみ、楽しくスパーリングする
1ラウンドが終わったら、それぞれの良いとこをほめあい、気づいたこと感じたことを報告しあう
連続せず休んでも全然大丈夫な雰囲気で、はじめて1,2年の人から、ジュニアの選手、世界レベルの人まで様々な人がいる。(自分は取材で数回見学、体験参加させていただきました)

僕はそれを思い出して、1for1は、スパーリングでありたいなと思った。

本当の試合では、同意の下に、相手を信頼し、相手を倒しにかかる
本当の社会では、自分も相手も本気を出して、様々なかけひきで競争しあう
それは、よかれあしかれ、真実で必要なことだとは思う

でも、それがいつもでは、いけないし、身体も心ももたないと思う

スパーリングが、楽しさや、強く進んでゆくきっかけにもなる 必要なことでもある
相手や自分へのリスペクトや気づきは、決して常にガチの状態ばかりで得られるとも限らない

1for1に慣れていない人は、自分のペースのほうがラクだから、そのまま行きがちだったりもする

とくに、いつも一人で走っていたり、はじめて1,2年とか慣れていない人は、そうなりがちだったりする

けれど、このイベントは、「自分と相手が両方心地よい距離・ペース」を走り始めてから模索しあい、作り出してゆくものなのだ。
それは、決して楽しいだけではなくて、体力のあるほうは、遅いほうに合わせる疲れ、体力のないほうは、(いつもの社会でのクセで)一瞬の申し訳なさやためらいなどがあるかもしれない。

けれど、この1for1マラソンのルールは「遅いほうに合わせる」なのだ。

これは、相手を決して傷つけることなく、力量の差があっても、その人それぞれに、自分の糧になる部分や面白さ新鮮さを見つけ、笑顔で組手し、終わった後も語る、スパーリング、武道的なものだとも思う。

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1for1マラソンは、「競争」のアンチで、「競争」の下地にあるもの。
当然、競争は大事だけれど、試合だって、互いの同意がなければ成立しない。

競争より前に、お互いが楽しく心地よく、どちらにも負担の少ない、かけすぎない、そんな身体の使い方で、5kmだけ(体力あるレベルは10kmとかもっと走ってよいが)走りきろう、という、そんなイベントだったのである。