2013年1月21日月曜日

KWF WCでした/準優勝

一回戦は、シード。

二回戦は、ノルウェーかフランスかの、僕より身長でかい人。
なんでこの階級で…。
ただ、30秒くらいで勝負がつきました。
相手が下がりながら前蹴りやハイを出してきたのを、かわして詰めて、突きと少しヒザいれたか…?
したら効いたのかくの字になったけど…手ごたえがない…
力みまくってた相手に、カウンターが入ったのか、ただ後でビデオを見てみたら、戦意喪失なのかな…
よくわからず、一本。

三回戦は日本人の主催道場黒帯ですが、すごく下がってステップして攻撃してくる人で、おっかけて突きました。
ただ、これも後でビデオ見てみると、追っかけきれてない…
相手に余裕持たせて甘いですね。
5-0勝ち

準決勝からが勝負で、相手はアルメニア?かのやはり僕よりでかい相手。
ここは予想違いで、僕はここでジュニア上がりのエリートが上がってくると踏んでたんですが、彼が後ろ蹴りでKOされてこの人。
(ジュニアエリートは、本戦は手数で勝ってたんですがね…延長でやられました。
今回、審判も外国人ばかりで、基準が違う/ここは日本じゃない というかんじでした)

で、打ち合おうと思ってました。
それも徹底的に、自分の間合いだけで、相手に余裕を与えずに。
あまりおぼえてるとは言い難いのですが、まずとにかく相手を追い込んで間合いを作らせない。
蹴り合い、相手の突きの距離なら相手のものなので。
もうとにかく胸パンチから自分から即入りまくって叩き。
少しでも空くと相手が威力ある前蹴り後ろ蹴り、パンチをいれてくるので。
もう考えずにとにかく入って叩く。
後半相手が明らか嫌がりはじめて手をつかんだりしても構わず。
最後10秒だけ相手も決死で前蹴り蹴りまくってきましたが、なんとかしのいで、僕も上段前蹴りを蹴って、笛。
たしか、3-1で勝ち。

最後決勝は、その相手と同じチームらしい選手で、バランスよくパンチローの鋭い選手。
一本勝ちもいくつか出して登ってきました。
で、まあ勝負。
ヒザを叩きこんでこようと思ってました。
序盤、開始いきなり上段ヒザがかすり当たりしましたが、きかず。
相手は自分の懐に誘い、パンチで跳ね返す、重いパンチでコントロールのタイプでした。
序盤、互いに意地か、手数多くコンビネーション応酬でしたが、ヒザが入らず、カウンターでパンチが来るので、セコンドの声もあり、ロー責めに変えました。
まあしつこく、パンチ応戦しながら、右ロー攻め。
かわさないのでほとんど入ってましたが、(おそらくパンチを踏み込むタイミングで前足を踏ん張り効きにくいようにしてる)あまり顔に出さない。
ただ蹴るしかないのでずっとやってました。
相手も自分も同じくらいの手数テンポか。
最後ラスト30-20くらいで相手がステップで遠間からの突き放すパンチで回り出して、最初おいつかねーーー
しかしここで放されるわけにいかないのでどうにかパンチ出しながらヒザまでいきましたが、パンチの威力は相手。

判定。
たぶん最後でとられたならとられたでしょう。
0-4で負け。

最後主催たちに挨拶に行き、先生にもすみませんと言って正面から去った後、ヒザで落ちて久しぶりに泣いてしまった。
が、どこかの知らない外人が立たせ起こし、構え、拳を握り
「プラクティス、プラクティス!!トラ、トラ、(虎になれって意味でしょう)」と言って、子どもたちも囲んでるので立って笑って構えるしかなかった。

相手選手のとこ挨拶いったら写真を撮られまくり、彼の道場の生徒たちであろう子どもたちに囲まれ撮ったり握手したりした。


出した、って部分はあるが、まだ甘い。
これでは上にも、もっと上にも行けない。
世界だ、世界で戦いたいんだよ!!

表彰式の時、英語もしゃべれない相手と年齢とか聞いたり、自国の旗を背負った後ろに立ってながら、悔しいけれど。

ここで生きていきたいと思った。
自分の力を出しつくしたその場所が、いつか生とともに消えるのか??
嫌だ、俺は生きたい。

カオスなかんじで終わりますが、ビデオはまだ見てません。
誰かが撮っててくれるとは思うけど…
あと千葉テレビで後日やるのかな

今日は皇居マラソンで来てくれた方が二人来てくれました(ようです)
大変、ありがとうございました。m(_ _)m

またがんばりますm(_ _)m


※パキスタンでした、すみません

なんか千葉テレビでやるらしいですが、パンフレット決勝の相手がほしがってたのであげてきちゃったので、日時とかわかりません…
http://www.kyokushin-chiba.jp/index.html の http://03572046.at.webry.info/ でそのうち言うと思うんですが…
どなたか録画していただけるなら主催道場に電話して聞きます笑


2013年1月19日土曜日

明日KWFワールドカップ@千葉

出ます。
一般男子軽量
紘/史 名義です。

10時開会式
千葉ポートアリーナ
http://www.kyokushin-chiba.jp/index.html

東欧、中東系の外国人が多く出てますが、ぶっちゃけ日本人のほうが強いと踏んでいます。
準決勝の高木選手、反対側の吉浜選手。
二つが山ですね。(もちろんそこまで行くにもとても大変でしょうが)
ジュニア上がりの手数に負けず、こちらも出し切り、常に先手を打ちながらも落ち着いていきます。
身体こそ本峰。

いってきます。m()m

2013年1月15日火曜日

なんだかわからない

なんだからわからないけれど僕は恵まれていて。

家出して何の目算もないままゲストハウスに飛び出て、なぜかあちらこちらでちらほら、助けてくれる人がいる。それも、何の見返り(というかマイナスだろう)もなく。

だいたい、ひきこもり時代も、唯一つながってた師匠にしても、何の得にもならないのに電話してくれ聞いてくれ、それでなんとか唯一外界とつながっていたようなものだ。
その前にも、スーパーメンヘラな僕をとくに何の怒ることもなくいつも笑顔で呼んでおごってくれたりしてた。
ライターになったのも、売り込みのヤケクソを後押ししてくれてたのはその人だし。
今でもライターに限らず事業で気にかけてくれ世話になりまくってる。

1年前僕が震災で仕事が減ってハウスを出るはめになった時は(それより前からやばかったが)、スーパー迷惑者だろう僕を半年間ベースができるまで住まわせてくれた先輩ライターもいた。
僕は人との距離が苦手で、毎晩毎晩神経質に振舞っていたが、とくに何も言わず置いてくれ、アエラ他なんとか売り込みが復活することができてた。

引越しを手伝ってくれたのも友達だった。その人の家に行くには、わざわざ車をレンタルしてくれ運転し、荷物を運び入れしてくれた。
それも、一度も会ったことがないのにだ。

その人の家から出る時も、別の友達がやっぱり遠い所から車レンタルで運び出してくれた。

もう数え切れない。

前に書いた皇居2、3回目伴走者は書いたように食料をずっと送ってくれ(時には金も…!)、会うとなんやかやでおごってくれた。同じ年のフリーターの女の子なのに。

遠いとこからご飯を作ってきてくれて、タッパーに詰めてごっそり持ってきてくれた人もいた。

ありがたすぎて何がなんだかわからなかった。
もうわけがわからない。
他に思い出してみればどんどんあるはずだ。
なんなのかわからない。

皇居マラソンなんて毎年そうだ。
レンタル空手家にしてもだ。
生徒におごってもらったことなんて何度もある。
ライターで取材させてもらってさらにおごってもらうことも何度もある。

なんなんだ。

僕はよく生きてきたと思ってきたけど、要所要所、ところところの要で、なんかまるでバレーのボールが落ちる前にパスまわすように、わけのわからない、まるで損で見返りが無さすぎる小さな大きな助けたちによって、なんか、今まで来た。

何がなんだかわからない。

だけど、さっき公園でシャドウして、シャワーであたたまりながら、逆フラッシュバックというのか?w何か思い出してしまってきたので、書いてみた。

ああ。