2013年3月18日月曜日

掃除をしに来てくれた人 3/17

 --チラ裏シリーズです --


今日、人が僕の部屋に掃除を手伝いしに来てくれた。

僕は掃除が本当にできなくて、本当に、もうなぜかわからないけど、できないのだ。

「来る」日や時間の直前になって、てんぱりぶりは置いておいて。

本当は、最初ねこぜさんは、僕の部屋を「手伝いますよ!」と来てくれようとしたのだが、
僕が、自分の部屋に人をいれることが本当にこわくて
あと、けっこうもう本当にゴミとか汚れとかやばすぎたので
最初断って
でもどうしてもできなかったので、「お客さん」として来てくれとあらためてこちらから頼んだのだった。
「お客さん」なら、僕が「招き入れないとやばい」と、自分で掃除するだろうと思ったからだった。

だが、ギリギリやばいゴミだとかキッチンのひどいカビだとか、床の掃除機(一部分だけだが)だけをもう本当になんとか、して、とにかく病気にならないようなかんじで入れるので精一杯だった。

ねこぜさんの紳士ぶりはびっくりしたが、それは置いておいて。

2時間弱くらい、色々拭いたりしてもらっていた。

足の踏み場もないし、問題は僕の整理だったりで、というのもあった。

見も知らぬ人のとこに、しかもひどいレベルのゴミ屋敷に、普通に微笑んで入ってきてくれて、ひどい汚れやら、書くのもはばかられるようなものもしてくれようとして、とにかく、なんというか「なんだこれ」というようなかんじだった。

帰り、ある料理屋で食べてもらおうとしたのだが、この駅の近くには、喫煙の店しかなく、くさくて煙って、僕はほとんどキレそうになっていた。

送って…

少しまた片付け、寝ようとしたのだが、枕やシーツを洗い、布団も干していたので、(しかも部屋も<いつもよりは>綺麗なので)なんか、「なんだ」と思った。

悪いかんじではないと思った。

なんというか、ほんの少しだが、自分にも価値があるかな、というかんじだった。
今夜だけだと思うかもしれないけれど…。

その時、思ったのだ。

(なんで俺は、汚い状況で、寝なければ、暮らさなければいけないんだ??)
(なんで俺は気づきもしなかったんだ??その状況に???)

また、思ったのだ。

タバコを僕は、本当にムカついている。
毛嫌いというか、蹴飛ばしたくなるくらい殺意を持つときもある。

それは、なぜ。

まるで
「お前には、価値もないし、お前がそこにいることなんて知ったこっちゃない
だから、俺はまったく構わず吸うぜ」

という、その態度、状況に、俺は頭にきていたのだと。


道ばたで寝る、ホームレスのことを思う。


彼らは、おそらくは「俺は、こんなところで寝るのでいいや」と
思って、その状況も 続いているのではないか??

俺のこの部屋のように…


なんで


なんで俺は、


誰が。

誰がしているのだ、この状況に!!!!!!


なんで俺はこんなとこで寝るのが当たり前になっているんだよ
なんでこんなことにも気づかないんだよ!!
なんでそれが当たり前になって、それでもつらく、毎晩くるしんでいるんだよ!!
なんなんだよ!!!!!



2013年3月17日日曜日

--完全なチラ裏のひとりごとです -- 3/16

昨日のこと

最近、土日の稽古の帰り道に、よく思い出したりすることがある。
いろんなことだけど。

今日は、僕が10代のころの、ときどきお茶したり連絡をとっていた、AV女優でライターの人のことだった。
その人は、薬物多量摂取からの事故ででなくなってしまったけど、最後のほうは、お金もなくて、花園神社の階段で、二人話していたりした。

インタビューしたいんだといって、会うと、会うたびにそのころは疲れてきていたけど、髪の毛も坊主にして、化粧もしてきてなかった。
そういう撮影だったのか、自分で切ったのか(両方だったと思う)

「死にたい人を、少しでも話しを聞かせてもらおうと思ってるんだ」
と言ってた。
その頃の僕は、別に今ほどはひねてなかったので、求められるまま色々答えていたと思う。
聞き出すのもきつそうで、話と話の合間に「ごめんね、時々休みながらとか、間があいちゃうかもしれないけど」と小さく疲れたように笑いながら言ってた。

(この人元気になってくれるんだろうか)となんとなく思っていた。
会うたび金もなく元気じゃなさそうになっていったからだった。
「薬のせいで」と言って、いろいろむくんだり、不調が大変なのだと言ってた。

そんなにまでして、飲まなければいけないのだったか。

その後、僕も体調悪く(ひきこもりモードに)なっていったというのもあって、連絡しなくなっていったが、ライターも女優もやめて、某深夜バイトをしているとは知っていた。

「生きたいんだよね、死にたいと思うけど、薬をたくさん飲んだり、自傷行為していたり」
そうでしょ?と確認するように、そういう話を、僕から聞いていたりした。

確か本を一冊書き上げたのだったか。
いつか帰りに、買ったように思う。

その後、一人で自室の某箇所でなくなった。

僕は自傷しだしたのは、彼女の影響というか、きっかけのようなものもあった。
「どうしてこんな世の中なんだろう」
と、話を聞いているうち、どうしても何かこみあげてきたのだった。
雪か、桜かが、降っていた。

ふと思い出した、あの花園神社の石階段の感覚。
金がなくて、そこまででもして、知りたかったか。
あちこちまばらな坊主頭で、目の焦点もうつろな。
それでも、聞きたかったか。
何を???

あの時の風景を、思い出すと、怒りのようなものがこみ上げてくる。
涙が出そうなまま、自転車をこぐ。
いったい、俺は何に怒っているのか!!!???

2013年3月14日木曜日

3/14 ベーコン展 ※主観

フィードバックをしましょうね。


友だちとベーコン展行った。

ベーコンは当然知っていたが、微妙に気になるとこはあったが、すごくひかれるというものではなかった。
ただ、大きな展示がやるなら、見にいっておくにこしたことはないと思っていた。

遅刻してすみませんm()m

僕は気のすむまで、身体が次にと動くまで見るような人だが
3,4枚目くらいのところの展示で(ほぼ時系列)、「この人殴られて(虐待されて)育ったんじゃないか」と思い
帰りに図書館で美術手帖見たら、やっぱりそうだった。

初期のものは、陰鬱で、身体が動けることなく、ただ心の叫びだけが、口を通して叫ばれている。

人を書くこともなく「誰か」を書く。

おそらく変わったと思ったのが、モロッコへ行ったころか、おそらく、「私の娘」と呼び可愛がってくれたバーの女店主を描いたころだと思った。
その絵だけ、人に見えた。
柔らかく、人を描きたいようだと思った。
初期で一番傑作だとは思う。
倒れた時にも何度も看護に行っていたらしい。




モロッコでは、戦地帰りの愛人と行ったところだが、もろ「地の果ての夢 タンジール」のころの世界だったろう。
色彩があくどく出てきていたが、欲望から逃げられないと思ったころなんだろう。
それ以後、「縛られた叫び」から「肉体」に転化するように感じる。

そのころから、人を描くことが多く、恋人、友人などを描いている。
肉体をねじまげながらも。
展示では「物語性を付与しない」だとか理屈がこねられていたが、自分はこれは「関りきれない痛み」だと思った。
彼はデカダンな同性愛者で、多く人とも出会い知り合ってきたろうが、いつもどこか壁があったろう。
肉体の歪みは「関係性の中の死(断絶)」だと思った。
本当の底まで、関りきれないのだ、互いに。

彼の作品には、ときおり精液のような白い液体のようなものが、ふと、描きこまれている。
射出する愛に、先が無いとしたら、関わりの先も、ごまかしたところで絶望だろう。

最後のフロアは、70~80後半の晩年だが、このフロアはきつかった。

彼の恋人たちは、ことごとく死んできたが、色んな人が、おそらく「本当に関わりきれずに」彼の元を離れていったろう。
このフロアは「死」そのものだ。
それも、彼が死を渇望するように(自分を殺したいように)作品に投影してきているので、肉体は歪みきっている。
彼が書きたかった、人生で渇望したのは「自由」だろう。

初期、檻の中の人たちを書き、出会いと解放で、肉体と出会えたが、肉体という檻からは出られなかった。
おそらくは生涯。
本当は、自然が、絶望の果てを探すようなセックス以外の、解放された自由が、世界には存在している。
しかし、多分彼は生涯出られなかった(出ようとしなかったかもしれない。何人も死んでいった恋人たちとともにいた)
一番ひどく思ったのは、顔すらなく、肉塊そのものとなった人が、ドアのノブの鍵を、自身をはめこみ、外へ出ようともがく姿だ。
これは「死」へ向かう、などと批評が垂れていたが、おそらく
「本当の人との関わり」を求めていたように思えた。
顔すらなく、ただ痛みだけを抱えた、断絶された肉体が、窓もない部屋たちの中で。




ベーコンは、美術評価では高いだろうが、一般的に認知、受け入れられているとはいえないとは思う。
それは、ついに突破できなかったし、しようとしなかったゆえかもしれないとは思う。
自分という檻の中から。

彼を閉ざしていたのは、もちろん、肉体ではない。
それは、彼が、おそらくは描こうとして、(たぶん)生涯描くことのできなかった「心からの笑顔」という、身体の究極の脱力だろう。

心は、肉体からは離れられない。
それは、自傷行為を繰り返しまくってきた自分には自明すぎることだ。
身体を変えてまでも、自分から離れたかっただろう、自分と、出会いたかっただろう。
だが支配されることだけでは、どこまでいっても出会うこともなく、先には闇と死しかない。

身体は、戦うためにあるのだ。
身体は、愛するためにあるのだ。

初期には、父親の支配の影響からの苦しみを描き、中期には、解放願望を描いた。
しかし、後期、痛みから脱出することはできなかった。

戦えない、愛せない身体は「死んで」ゆく。
ベーコンは、晩年をかけて、それを教えてくれたように思う。

2013年3月13日水曜日

KWFヨーロッパ中止or延期/4月の大会2つ

一部の方には言っていて、そろそろ発表?しようかとも思っていたKWFのヨーロッパ大会(ポーランド)(1月のワールドカップで2位だったので選抜)ですが、大会側の事情で10月に延期とのことで、5月はなくなりました。
先生いわく、10月も当てにしないほうがいい、なくなったつもりで、とのことですが。
まあ海外主催の大会のことで、こういうこともあるでしょうし、仕方ないですし、自分の中では10月はあるかもしれないという視点でやっていきます。

資格も、半年遅れると変わってくるでしょうし、また選抜にはならないかもしれないのですが、やはり視点は、海外!


https://www.youtube.com/watch?v=l5khnO9QMkY (WCでの負け試合)

クミスカリエフ選手(松井派世界大会選手ですね)借りは返しますよ、というか、それ以上に磨きますよ。

半年猶予を与えたということは、4月東都でこの大会に合わせて中量級に上げたり、これからも中量級でもあげていくと思います。
成果出して、さらに強くなっていきますよ。

とりあえず、4月は新極真さんの全関東、その2週間後に東都とあるので、これに集中していきます。
変わんないんですよ、強くなるには。

視点は、変わりません。
10月! 

 --

ということで、

■第18回全関東空手道選手権大会 (新極真)
http://shinkyokushinkai-kimotodojo.co.jp/
4月8日(日) 10時開会式
横浜文化体育館(関内)
一般男子軽量級
トーナメント:http://shinkyokushinkai-kimotodojo.co.jp/18th-all-kantou.pdf

…って、何この軽量級の充実ぶり。
40人とか。
そして他流派なのに第三シードに入れていただいています。
がんばります!!
ぶつけてくるぜ!!


https://www.youtube.com/watch?v=YrMZ0iTPI6M (去年・負け試合)


■第24回東都空手道選手権大会 (協会・勇志会)
http://yuushikai.jp/touto/24touto.html
平成25年4月21日(日) 10時開会式
川崎市とどろきアリーナ・メインアリーナ
一般中量級

ずっと軽量(65kg以下)で出ていて、この大会で中量ははじめてです。
パワーアップした階級でチャレンジします!!
ぶつけてきます!!
がんばります!!

2013年3月6日水曜日

3/2 kurita keiko アイスランド写真展(明日まで)


(プチ)フィードバックをしましょうね

kurita keikoさん http://swimciel.net/ のアイスランド展へ行った。
http://www.facebook.com/swimciel

僕は前からアイスランド滞在時のブログが好きで、時々のぞいていたのだ。
http://icesnowswimland2011-2012.blogspot.jp/

高校卒業するくらいから、アイスランドに留学したいとかものすごい漠然としたことを思っていた。
そのころメンタル的にひどかったのだが…。
ひきこもり直前とかのことだ。
本屋に行くたびレイキャビク調べたり、アイスランド語の勉強本も買って、ノートに色々書いてた。
下手するとテープも持ってた(本についてたかな?)

ビョークもアイスランドって後で知ったかな。
アイスランドが舞台の単館映画とか見てたのもそのころとかだった。
「春にして君を思う」(おじいちゃんとおばあちゃんの)とか、他にもあった。

何が、ひきつけるのかなとか思って、今日行って、見て、くりたさんともお話できて、ほんの少し思った。

「幻想と現実がからみあってる」とくりたさんは言ってた。
たしかにそうなんだろうな。

街でも、お湯をひねると温泉水が、水は地下水が出るという。
そういうのもふくめて…。

「アイスランドにいると、何か回路がつながるような気がする
写真にうつっているのは、全部自分だけど、この、体験を自分の持ってる媒体(カラダってことだろう…)を出すことで見てほしいと思ってた」

アイスランドは、やはり人口少ないこともあるのかもしれないが(30万)、やはりすごく自然と人とも一体している感があるという。
それは、もしかして東京とかでも見つけられるものなのかもしれないけど、まだ、やはりたくさん階段をのぼっていかないとたどりつけない。

僕は、くりたさんが、「アイスランドを基本」(とくりたさんんも言っていた)にして、自然と人間と、溶け合うような回路を色んな地球の様々なところでも、開いていけたら(くりたさんの身体が)、それをいつか見てみたいと思った。

アイスランド、日本(出雲かもしれないし、屋久島、アイヌの地かもしれない、だけど東京にもきっとそれはたくさんあるんだろう)、中国、アメリカ、アフリカ…きっと色んなところに、伝説と幻想と一緒に暮らしてきた歴史はあって、「文明」以前に人はずっと暮らしてきた。

くりたさんにとって、回路をひらくのはアイスランドだし、きっと開きやすい土地だとは思う。

そんな写真や作品が多くなるなら、きっと地球は、人は、つながりあってるのだと思えるだろう。

アートの一番底にあるのは、平和だとも思うから。

「そういえばアイスランドの写真は、地球みたいだなあ」と思った。
地球ができた時や、本当にそういうものを感じますとくりたさんも言ってた。

僕がアイスランドにひかれたのは、その時死にたかったからだろうと思う。
「死」が、優しいものが、そこにあるようにも思えたのだ。
怖くもなく。
思えば、それは当たり前かもしれない。
死も生も、人も自然も、伝承も現実も、きっと本当は同じ地平にあるとも思う。
くりたさんの作品で、くりたさんは、どこか風の中に溶け合いそうで、消えてしまっても、それも自然かもしれないと感じさせた。


ものすごく勝手なことを言ったり、思ったりして、後にした。

くりたさんお時間いただいてありがとうございました。

ビームス展は7日(木)までで、明日が最後です。

2013年3月5日火曜日

Hoomdoor 3/2 社会起業ゼミ

Video streaming by Ustream

社会起業ゼミ、ハブチャリ(団体:ホームドア)という大阪でホームレスのおいちゃんたちと、シェアサイクル業をやっている他の、女子大生(川口さん)代表のお話。
http://www.homedoor0.com/


いろいろと、シゴトノアトリエが「したいなー」と思っていたことを、してらっしゃっていて、「あーほんとにやってる人いるんだなあ」というかんじ。

いろいろ、かぶるのです。
ホームレスの人とニートへの偏見とか。
「自業自得じゃん」ってみんなが言ってて、まあ…ね、と。

最初に、ニーズを聞いてから(できること)事業立ち上げをしようとしたのもさすがね。

これは、後でお食事の時に少し聞かせてもらったのだけど、僕が勝手にコンピューターおにいちゃんのことを相談させてもらって、ターゲットをまず細かくし ぼって、自分たちのできることと合わせて、そこから広げていくとおっしゃってたけど、そうね、そういう冷静さ?みたいのが、基本的ながら、そうね、という ことだった。

確かに、色々なそういう相談のとこにいけば(ETICとか?)アドバイスしてくれるのかもしれないけど、自分には、そういうのは遠かったので…。

ニートが就労に必ずしも皆行き着かないように、(というか、就労支援から成功するのがマイノリティだろう…)、ホームレスも生保は必ずしもニーズではないこと。
しかし…、帰りに「レイブル(就労の意志のあるニート…?)」をやっている、スマイルスタイルだっけ?を、川口さんが言ってくれたように、「やる気」のあ る(ホームドアであれば、生保に行き着いたおいちゃんたち)当事者を、まずターゲットにするのは、理にかなっていること。
しかし…

確かに解決の糸口がつけやすいのかも、だけど、僕は「レイブル」(就労を望む)ではない。
むしろ就労とか勘弁してくれよ、の自営ニートなのだ。
もちろん…学べることはたくさんある(スマイルスタイルは知らん!けど)



おっちゃんたちの得意なことを聞いて、自転車修繕というのも、だからサイクル業をというのもわかる。
おっちゃんたちが孤独でなくなり居場所だし、働くプライド楽しさを復活させたというのもわかる。



さすがと思うのは、彼女が「流れに乗れば、それは必要であるということだし」と言っていたように、なんというか、流れがすごくできているなと思うこと。
大阪のホームレス問題も、自転車放置問題も、同時解決は、確かにソーシャルだろう。



ハブチャリの他に、『釜(が崎)ミーツ』という、釜が崎の待ち歩き?観光スタディツアー?的なことをやって(これのが収益が出てるとのこと)るのも、実 は、ヒキニートスタディツアー(支援施設まわったり、本人たちと話したり、本人たちと色々何かできる)をやろうとしたことがあったので「本当にさすが」と いうかんじ。



あとハブ傘という、傘の再利用も、手がけるらしい。

ハブチャリのポートは今10箇所。
自治体で最初無理めだったので、民間に営業かけて、CSR的にお試しで最初にやってから、次第に広がるというのもたくましいですね。
そういう営業もすごく、とてもいいし。



何より、おいちゃんたちと仲がよく信頼関係できてるなという写真などスライドで説明してもらったのが印象深かった(看板がなかたのでおいちゃんが作ってきてくれたり、クレーマーからかばおうとしてくれたり、パーティを自分たちで企画してたり)
これも、食事の時にうかがったのだが、僕が、メンバーに対してケツの穴の狭いところを言っていたときのこと、やはり

「どこにも行き場所のなくなった人たちだから、ここにいても追い出されないという安心が大事。私たちも、排除しないし、そういう最後の場所だということが、伝わって、信頼関係もできてゆく」というようなことを言ってらしてた。(大意)



僕は、ここに来る前にツイッターに書いたのだが

「今日のゼミのホームドアさんは、収入と、おそらく居場所もそうだし、ホームレスたちが、主宰の女子大生たちを逆に助けてあげようみたいな部分もあるかもしれないと思ってる。 4年前、シゴトノアトリエを立ち上げた」

「最初は色んなニートたちが集まってくれたけど、僕はあまりにも自分の利益と人間コントロールに終始しようとしすぎたと思う。 本当はみんなで作り上げなくては進まなかったのだ。 自分が弱味をさらし続けても。 素直に。」

「コンピューターおにいちゃん(高齢者向けの出張パソコン家庭教師)、わくわく農業プロジェクト(薄給の零細農園ボラバイトの手伝いをし、その代わり規格 外野菜をもらい外食へ流通)、ビデオラブレター(その名のとおり。孫からとかも)… 全部自分が完全主導でやろうとしすぎて潰れた」

と書いたけど

川口さんたちがどうやってるのかは知らない。
けど「手のひらでいてもらう」と言っていたが、それは、包むような「ここで私たちと一緒にがんばろう」という温かさとある種の腹の座りがないとダメだ。

このゼミは、前に行ったオーバーザレインボウの時と違って、男性がとても多く、その中でおっちゃんたちの写真でスライドを話す(淡々と)話す川口さんは、一瞬ちょっと天使ちっくに見えた(笑)



僕が今回「学んだ」こととは、実は、そんなにない。
学んだ、ではなく、「そうか、自分がやろうと思っていたり、やろうとして失敗していたことを、ニートではなくホームレスとはいえ、実際にやっている人はいるんだ。それもここ2、3年で立ち上がり、まだ大学生の人が」
というのが、実は一番大きく。
「できるのか」
ということだと思った。



色々流れやノウハウ、マネジメントもあるのだと思う。
だけど、やってる人はいるんだよ。
それも明るく淡々と、ずぶとくおおらかに。



もちろんニートとホームレスは違う。
それも、ホームレスとは言っても、「元」で、生保利用で、僕や僕のまわりのニートメンヘラ発達…自身は、「生保を受けないホームレス」に近いのではないかとは思う。
(就労なんて知るか。感謝されながら、自分のペースと誇りで堂々と生きるんだ)
それぞれの個別の自営仕事でもない。
(もちろん、目標がホームドアさんは、生保とハブチャリの半々くらいで暮らせたら、生保の予算も引き下げられる、というのもあるのだが)

だが、実際、若い女性が動いて、どんどん形と成果にしていくというのを、ナマで見ると、自分のケツの狭さと、あらためて見直したい、そしてもう一度…という部分もあるのだ。



川口さん、遠くから、日帰りでこの講座のために、お疲れ様でした、ありがとうございました。


 

Over the Rainbow 2/2 社会起業ゼミ

フィードバックをシェアしようと思った。
一月前だけれど。

Video streaming by Ustream


 社会起業ゼミのオーバーザレインボウさんは、1年くらい前からWEBでだけ知っていて。
http://www.over-the-rainbow-with-love.com/

 なんで行こうかと思ったかっていうと、事業の一つに、古着をネットやラフォーレとかの店舗で売っていて、その古着は、アメリカのもので、それぞれの洋服に、それを着ていた女の子のストーリーがついてるの。
 それこそDVから、HIVとかね。
 みんなそれぞれの関わってる社会問題。
 それで、僕は日本の女の子とアメリカの子がつながるんだと思って感動してた。

 でも、じっさいはそれは日本の子に対しての「(自分の問題に気づく)きっかけ」らしかった。
 それを買った子たちは、自分の持ってる問題にも反応することにもなって、それから、オーバーザ…がやってるワークショップに参加したりしてくみたい。

 自分の問題と、そして解決、さらに夢がどんなのか、わかってゆくイベント。
 お料理を作る過程を利用して、いろんな計画の立て方を学んだり、結婚の妄想をすることで事業プランニングと同じように作ってみたり。
 そういうふうに女の子向けに、起業とか事業の立て方を学んでったりするみたい。

 さらにそれを夢ができた女の子を支援するシステムもあって、たとえば色んな人に話したり、ピラティスをやってくうちに自分のDVに気づいた女子高生は、 自分もピラ教室をやりたいんだけど、それに、もっと年上の人たちが、コンサル業だったり、つなげたり、資金だったりで「投資」する。

 じっさいメンバーはたくさんいて、古着も売れてるみたい。(千人・千枚単位)

 十和田の伝統工芸を、ミラノで復活させるみたいなこともやっていて
 十和田にある織物があって、着物をほどいて、編みなおして違う織物にする「裂き織」っていうのがあるのね。
 彼女は「ユーズドリサイクルブランドだ」って思ったんだけど、行ってみると、おばあちゃんたちもいろんな問題(やっぱりDVとか、孤独とかね)持っていて、そこで集まって織っていてみんなで話したり、それで救われてる現状もある。

 という。

 ここまではシゴトノアトリエ周辺の今日行けなかった女子にメールでも言ったこと。

 で、僕が何を思ったかっていうと、やっぱり自分の問題があるからこそ、その問題を媒介に、世界とアクセスできる、友情も愛も生まれる、自分を好きになれる、孤独じゃなくなれる部分があるんだろうなと。

 あらためて。

 シゴトノアトリエは、自分たちのニート経験を逆手にとって、生かして、ニートだからこそ、ひきこもってきたからこその仕事を作って「ありがとう」って言われようぜ、っていうコンセプトのはずだった。
 今開店休業だけど。

 でもそれは、自分の境遇状態、どんなことに困っていて「助けて」と言いたい、「どうにかしたい」と思いたい、と思えるからこそ、できること。
 だから「きっかけ」というのは、言葉のなんだか軽いかんじ以上に、本当は大事なのかもしれない。

 自分を知っていないと、自分をどうすることもできない。

 OtRさんたちは、色んな仲間もきっとうまく集まってるんだろう。
 助け合いの文化は、女性たちの特質かもしれないから。
 僕はレンタル空手家の発表(悩み相談?)を少しさせてもらったけど、やっぱり自分の中で意地をはってる部分(当事者の親にはアクセスしたくない、とか) という部分もあって、あと、まあ色々当時者メンバーどうしでも色々あったり、営業してても、僕がキレて帰ってくることも非常によくある。

 女子社会起業的な人たちがまぶしい部分はそこにもあるとは思う。

 何書いてんのかわかんなくなってきたけど。
 思ったのは、代表の方も色々問題持ってきてらしたと思うけど、それでも色々なところとつながって、だから世界にも行こうとできるんだな、世代もこえてつながろうとできるんだなということ。

 僕がレンタル空手でアドバイス受けたのも、結局つながりの部分だったし。

 つながりは、なめられないね。

 人は、怖いけど。

 今さん、佐野さん、同席いただいておしゃべりしていただいたり、アドバイスをいただいた方、SEカフェの木村さん、ありがとうございましたm()m