ここ数日、自分が批判されたり、自分が批判したりと、ちょっと色々ありました。
一人は、僕も結構共感していた友達で、僕の姿勢について「批判」がありました。
もう一人は、僕が批判して、当事者でうつ病の精神科受診インフラを整えたいとする事業家でした。
どちらも同年代で、僕と同じように、自分自身の問題を持つ者です。
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わかったことが一つあるんですが、僕は「対抗」するポジションだな…ということ。
「多数派」から物言い、文句がつく価値観を通そうとすること。
裏を返せば、彼らは、今までの価値観から、そうそう批判されることはないだろうポジションをとっていて、そういう人たちと、僕は「対立」するな、ということです。
カンタンに言うと。
僕は今まで、「敵」は、当事者以外の、僕らに無関心な人たちの行う余計な行動や価値観、姿勢だと思っていました。
それが、抑圧や差別感覚を生み、ますます追い詰められるのだと。
たとえば、ライフリンクやら、もやいやらです。
だけど、本当に直に「対抗」化するのは、同じ当事者であり、姿勢の違う人たちだなと感じました。
同じ、問題を持っているだけに。(もちろん文字どおりまったく同じではありませんよ)
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「批判」してきた友達は、僕の「傷つけられ、精神を病むくらいなら親から離れろ」「格闘技して、周囲の気持ちを裏切ってでも自分の気持ちに正直になる勇気を取り戻せ」といった言説が、『そうあてはまらない人もいるだろうに、なぜそうやって断言してしまうんだ』といったかんじでした。
別に僕は誰にも押し付けているわけではありませんし、僕が”成功”して、同じ志を持つなら、一緒に頑張ろうぜ!という意味で言っているだけです。
ですが、今の自分の生活に不安を感じている人にとっては、ある種の「抑圧」にうつるのかもしれません。
(僕は言うことで誰にも害をなしてないし、どこからも僕の活動に対して、被害を受けたという人はいませんが)
それは、彼らが(今までにもそういった「批判」はいくつもいくつもありました)、今、自分は親から離れたくても、自立したくても、できないのだ、というジレンマに常に追われていることからではないかと思ったのです。
だから、僕の意見は、耳障りなのだと。
親から、離れられない。
離れたくても、様々な事情があって、僕のようにはいかない。
それは、僕よりも、なんと苦しいことでしょう。
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僕が批判した、当事者であり事業家というのは、うつ病にかかったら、「気の合うお医者さん」を見つけられるようにして、うつ病医療のマッチングをよくしようね!という活動をしている人です。
別に、ことさらに僕が文句つけにいったわけでもなく、とある密な場所で同席し、プレゼンしあうというコンセプトだったので、言わずにはいられなかったというわけです。
僕は「どうして『うつ病』になったら精神科に行くしかないんだ」と言いました。
選択肢の中に、他のものも入れ、精神科の薬物療法のデメリット、リスクを明示した上でなら情報提供すれば、それはまあアリです。
しかし、選択肢が「自分と気の会った、精神科のお医者」しかないというのは…(気の合った、という情報は、医師を取材して提示するものです)
それは結局、既存の「うつになったら精神科(薬物療法主体)へ行こうキャンペーン」を補助することになんら変わりないのではないか。
彼は『日本の医学界のデータとして、薬物療法が多数の人に効果を上げているんだと言いました。
今、はっきり出ている医療データは薬物関連だけで、それは悪い効果を上げていない』
だから、今できることをするのだと。
どうして、医学界のデータを信用して、それを基準として使うのかと。
だいたい、精神科の医者に「治りました、ありがたい」なんていうのは聞いたことがないし、いったん診療名つけられて、それをその後ずっと引きずってる人がすごく多いように感じられるんですけど。
あと、データとしてもうつ病患者、増えてますよね??
ていうかデータとか、どうでもいいんですよね。
そのデータ、僕が確かめようがないから。
それより、じゃあなんで僕の周りの友達、いまだに10何年も精神科通い続けて薬飲み続けて不幸せそうなの?
なんで僕の友達何人もODで死んじゃったの?
…まあ、ともかく。
彼のやってることは、問題解決になってなくて、下手すると問題長引かせてるよね?
これ、既存のうまくいってない医者のやり方と変わってないよね?
社会起業でも全然なく、既得権益におもねってる事業だよね??
で、思ったことなんですけど、彼(ら)は、今までのやり方をやっている人(医者側、何年も薬を飲み続けるしかないと思っている人)からは、批判されないんだろうなということです。
だって、医者が薬ばらまいて儲かってる構図から、医師会からも、製薬会社からも、厚生労働省にも、全然逆らってないから。
そしてもっと大きなことは、多分…
「今の医療を続けるしかない、と思いたい人たち」というのが、かなりの割合で一定数いるんだろう、ということです。
当事者の中にです。
「救われるより、ここにいたい」
という山田ないとの名言?がありましたが、新しく運動やったり体や生活習慣をなんとかしようとするより、薬をもらい続け、治らない、でもしょうがない…と自己評価を低め続け、医者と依存関係になっている「弱者」が確実にいるということです。
それは「皇居マラソンやろうぜ!」と告知しただけで、「うつ病の人に運動なんてやらせたら悪化するし権力的!」と何も彼に言っていないのに、過剰に反応してくる多くの人たちということです。
その事業家は、その人たち側に立っていると。
問題は解決せず、しかし批判はされない。
なぜ当事者からの批判も(僕ほど)来ないか。
それは、彼らが権力側に立っているからです。
権力に批判するような勇気のいることは、そのままでいたい弱者にとって「しなくてもいいこと」だから…。
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僕を批判した友達と、僕が批判した事業家(というか、彼がターゲットにしているうつ病の人たち)と、両方とも、そういう人はいるのだと思いました。
当事者は「完全にすべて味方」だと思っていました。
どこかで。
わかってくれると。
もちろん、友達も、全然友達だし、事業家も、共感する部分もあるし、根元のパッションは純粋だと思える人間です。
そして、「既存の医療に頼りたい」人の抱える問題の重さもわかる…。
だけど。
・親から離れたくても、自立したくても、今はできない人間がいて、その人たちは、今の僕よりも、重い十字架を背負っている。
・「救われるより、ここにいたい」当事者がいて、彼らの「ニーズに応える」ことは、共依存である。
僕が、これからレンタル空手家や、シゴトノアトリエを進める時、「自立したくても今はできない」人や「新しい試みをするぐらいなら、今までの自分が責任をとらなくてもいいように思える、既存の医療に自分の健康を任せていよう」という自傷的な人の存在が向かってくるでしょう。
(今もだけど)
本当は「敵」は、同じ当事者の中にある、違いや恐れだったりするのかもしれないのです。
そして、自分自身の中に…。
だから、進めていく上で、もっと今まで以上に、どんどん批判や反感が来ると思います。
だけど僕は、あえて「批判がくるもの」として進めようと思います。
本当は一番「敵」にしたくなかった。
本当は、一番、一緒に手を取り合って同じ方向へ向かいたかった。
だけど、僕たちは、育ってきた環境も、感じ方も、時間の流れすら違う。
それを、尊重したいと思います。
でも、言うじゃないか。
格闘技では、攻撃が向かってきた相手にも、「試合」が終われば、笑顔で握手だって。
武道家になるために、今は批判を「サバキ」ながら進みたいと思います。
押忍^^
格闘家の須藤元気さんが、精神世界について、ラジオで何かしら話していたのを聞いて、感心した覚えがあります。格闘家にも、こういうタイプの人がいるんだと。こういうことに関心を持っている人がいるんだと。
返信削除スピリッチャルな世界にも、もちろん本物と偽者がいますが、そういう世界で、話されたり、本に書かれたりすることの中に、過去の今のそして、今後のあなたに役立つことがあればいいですね。
けしつぶほどの信念があれば、山をも動かせると本当に信じている通りすがりのおじさんより