2010年8月21日土曜日

つれづれ、友達とか、僕とか。

 僕の、一人や誰かの手では、すぐに問題を解決できない状態だった友達たちは、2つに分かれる。

 ひとつは、何かふとした拍子だったり、自分の何か継続だったり、ふとした「救いの手」だったり、なんとなくだったり…で、ラクになってきた人。

 もうひとつは、そのままもっと、なだらかに苦しみの淵へ行った人。

 苦しみの淵に行ったとしても、未来がないわけではない。
 亡くなってしまっても、そのことがいけないわけでもない。

 いろんな今までの問題を「克服」してきても(リスカだとか、無職状態だとか、オーバードーズだとか、自殺願望だとか)

 知らない人と一緒の空間にいれなかったり
 ストレスが出るとカラダにアトピーや疥癬などができたり
 電車に乗れなかったり
 …etc.etc.

 少なくともすぐには”治ら”ないことはあって、彼らの自由や選択肢をせばめている。

 何かをすすめたところですぐにはどうにもできないし、彼ら自身もいろいろ試したり考えていたりする、当然。

 ゆっくり時間は流れている。
 
 受け入れることもともに生きることも言うほど簡単じゃない。
 誰かが一緒にいることでさえも。

 自分に対しても、誰かに対しても無力感を持つばかりだけど「問題」ととらえずに生きれればいいのに。

 現実を受け入れ生きることのできる人が、本当は一番強いと思うのだけれど。

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