2012年10月20日土曜日

ひきこもりと監禁・収奪



この数日ほど、「ニート」にカテゴライズされる人たちに、彼らの好意で話を聞かせてもらっていたりしてました。
まだ続けるかもしれません。
10人弱。

最初は、彼らが「何を『助けてほしい』と思っているのか」と知りたいと思っていたのでした。
それは、僕自身が、この数ヶ月ほど、「一人ではどうにもならないこともあるかなあ(スケジュール管理、マネジメントなど)」と思って「支援」を求めても、どこも入れなかったことからです。

若者支援から発達障害まで。
10箇所以上のたらいまわしと断り。

僕は僕自身が決めたことをやりとげたいので、一週間に一度くらい進捗を一緒に見てもらったり「これは無理があるのかなあ」などとツッコミチエックを入れてもらえたら理想と思っていたのでした。

で、もうやっぱり、以前の「けいかく!」みたいのじゃないにしても、自分でやるしかないのかなあ…と思っていたところ、「他の人はどうなんだろう」と思ったのです。

ひきこもり系の他にも、ワープア(働いてるけど低収入含めてきつい)とカテゴライズされそうな人も探していたのですが、色々、すぐにアクセスしてもらえたのは「ヒキ・ニート」系の人だったというわけです。

で…

ずっと何年も思っていたことですが、あらためて思ったのですが
もし、彼らに「伴走」「支援」したいと思う機関や団体があるとする。
だいたいは、就労だったり、居場所だったり、話を聞いたりだったりでしょう。
でも、まず彼らには「困っていること」「助けてほしいと思っていること」が、霧の中なのです。

それが思うことです。

「自分の気持ちって、いったいなんですか、わからない」

僕は監禁を思いました。

子どものころから、親が思うように動かそうとすることに従い、命令され、思考や価値観、感情までが支配者と同化したものになってしまう。
監禁や虐待とはそういうものでしょう。

「伴走」や「支援」するのであれば、それは彼ら自身のペースで「虐待のサバイバーの回復」を待つように、つかず、離れず、長きにわたり、彼らとアクセスできない時は、「社会問題」としての「監禁ひきこもり」の土壌に立ち向かうしかないのです。

「ひきこもりと生きる知恵・技術」が公開され、共有されるといいのです。
別に彼らは一緒に生きてほしくないかもしれません。
だけれど、愛する人が、もし○○○○○だったら…?
サバイバーのパートナーだとしたら、どのように自分も生きればいいのですか?


「支援」とは、「支援」したい人が「どのように生きるか」
サバイバー・当事者と付き合って見えてきてしまった自分と他者との関係、掘り出されてしまった自分自身の問題、過去とどのように向かい、折り合いつけ、進んでいくか(当事者と一緒に)だと思うのです。

「支援」とは、当事者を支えるものではないと思うのです。
それは、二の次で、
「当事者と一緒に生きるあなたの生き方」
がずっと問われることだと思うのです。




実は、この1年近く、「ひきこもり」のことではないですが、そのことをずっとずっと考え続けてきました。
あらためて、このブログを書きながらも、「ああ、やはりそうなんだな」と思ったのです
ここにメモっておきます。


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そういえば、極真カップは3位でした。
ひさしぶりに三決があって、どろどろのギリギリ再延長戦でなんとかトロフィーをいただきました。
自分が「一人」で戦う時、どろどろギリギリの覚悟、そうなることを恐れていては、先も見えないのだろうと思います。

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