2009年9月19日土曜日

【ニートとか】レッテルを剥がす【ヒキとか】

 作業していて(告知や、新しい企画の準備や)ふと気づいた。
 参考や取材に、他の「チャレンジド」のHPや記事を見ていたりした。
 「障がい者が、その経験やスペック自体を個性として事業化していく」という。
 まあ、今のとこ講師派遣や、商品作りなどだ。
 どのような思惑でやっているかは詳しく知らない。
 しかし、どこも会員制や寄付などを募って、募金箱などを当事者に持たせたり「ステキなものができました」など作ったものを職員の側から紹介していたりするのを見ていると…。

 僕はニートでもヒキでもない。
 正直、そして社会の雇用システムに組み込まれたり、まともな収益の出る自営業だけをやりたい者でもない。
 はっきりいってはぐれ者だ。
 かつて、僕のいた状況は、どうやら「ニート」やら「ヒキ」やら言われていたらしいが、真っ只中の時は、完全に「僕はそういう人だ」と思ったことはなかった。
 今、あえて「元ニート」「元ヒキ」というレッテルを貼っているにあたって、だんだんレッテルそのものに飲み込まれそうな違和感があった。
 
 もともと、僕は「ニート」でも「ヒキ」でもない。
 憧れていた「こうなれればいいな」という生き方はあったし、自分の問題からは「脱け出すもの」だと思っていた。
 自分のことを一度も「ニート」でも「ヒキ」とも思ったことが無いものが、社会に対しては「(元)当事者です」と名乗る。
 それは方便なのだが、いつか自分でもベタになっていた部分があった。
 
 社会が、自分(たち)をそう名づけるから、それが問題なのだと言うから、事業をわかりやすく説明したり、協力を仰ぐに当たって、そう(仮に)名乗ってきた。

 僕はニートでもひきこもり(元)でもない。
 
 いつか、「支援」などをしているうちに、問題自体に飲み込まれてしまう。
 自分の生き方は「障がい者」などではないし、自分自身も「障がい者ならではの個性」などというものでもない。
 ニートも同じだ。
 ネタで「ニートww」などと言っているうちに、いつしか「自分の”ニート性”そのものが問題なのだ」と飲み込まれてしまったことはなかっただろうか??

 自分の問題は、「自分のへタレさ」「自分自身のダメさ」だ。
 「ニート」「ひきこもり」などではない。
 だからこそ、”識者”とやらが「ニートとはこういう傾向がある…」などと語り始めた時、「ヘッ」と唾を吐き捨てたくならなかったか?

 僕は「いわゆる社会一般の”お金のために雇われる生き方”、”自分のためだけに働く生き方”」ができなかった。
 今も、したくない。
 だから、この”NPO”とやらを立ち上げたのだ。
 ”えぬぴーおー”なんかじゃなくていい。
 別になんでもいい。
 自分が面白く、張り切りながら、誰もやったことのない喝采が待っている目標へ進めるのなら。
 事業自体が、ミッションが面白く、輝いているから、”NPO”とつけた。
 ニート、だとか元ヒキ、だとか名乗りだした。

 すべては後付けだ。

 
 僕はニートもヒキも、何やかやも、まったく「問題」だとは思っていない。
 問題、なのは、自分の中の「逃げたくなる」「誰かに言い訳したくなる」もどかしさだ。
 「ヒキ」とか言われる経験があったからこそ、今自分が立ってると本気で思っているし、後ろめたく思った気持ちはまったくない。
 むしろ、「ヒキ」時代に「自分が他人の、嫌いで離れたい親から金をもらい続けている」ということ自体を「自分」に向かって、ずっと死ぬほど後ろめたかった。

 ただ自分を苦しめている問題はあったし、今も壁がある。
 だから、乗り越えたいと思うだけだ。
 
 「ニート」は方便。
 「ヒキ」は仮面。
 そういう、事業をスムースにすり合わせながら進んでいくための。

 しかし、それに飲み込まれてはいけない。
 先が見えなくなるから。
 僕は「ニート」でも「ヒキ」でもない。
 レッテルを利用して、自分の問題を乗り越えたい、面白いことをして生きていきたいだけだ。

2009年9月12日土曜日

プライド・マイノリティ

 ホームページのほう、だいぶ直しました。
 ニーテイングや参加者を広く告知するにあたって、わかりやすいようにね。
 どうもわかりにくい、って声もあるみたいですが、よく読めばわかるはず。
 逆に、今までにないあり方なので、一言では説明できないというのもあります。
 HP内に外部リンクしてある部分も含めて、読んでほしいところです。

 今日、夜にNHKの「きらっと生きる」でユニークフェイス(顔にあざなどがある人)の当事者の氏家志穂さん(ニュース和歌山)という方が、顔と名前を出して出演していました。
 僕は見られなかったのですが、番組ホームページに詳しい内容がアップされてます。(来週も再放送があります)
 
 ユニークフェイスは、その言葉を作り、日本ではじめて顔面のあざに関する著書を出し、問題解決へ向けた団体を立ち上げた石井さんを知っていて、色々ものをいただいたり、お世話になっているのですが、ほとんどその問題自体が知られていません。
 当事者が前に出て、語っていかなければ、他の人たちの理解は得られることはないし、当事者たちの問題もいつまでたっても変わらない。
 「きらっと」のリンクを見てもわかるように、差別問題なのだ。

 僕はユニークフェイスの当事者はほとんど知らないし、問題の実情に関しても本などで「へーそうか」というものしか知らない。
 しかし、当事者が顔と名前を出して訴えかけることの勇気は少しはわかるつもりだ。
 ユニークフェイスの人は「外に出た」だけで、視線にさらされる。
 それを外に「知ってほしい」と出していくのだ。

 彼女は、当事者同士の自助団体と、知ってもらうための講演・訪問活動をはじめているという。
 この夏から。
 時代は変わっていくのだ。
 いや、変えていくのだ。
 少数派の当事者たちの、その中でも本当にごく少数の当事者たちの中から。

 いつか、少数の当事者たちのうねりの中から、社会を変えられるだけの影響を作り出す日が来るだろう。
 少数派たちの中の、その中でも少数の、最初の者たちから。
 歴史はいつでも、たった一人の思いから変わってきた。
 いつか少数派たちが…皆自分の人生に誇りを持って生きる日が来るまで。

2009年9月5日土曜日

うちはニート「支援」のNPOなんかじゃないです【参加条件について】

 たぶん僕が、中途半端というか、自分の中だけでわかっていたことを、外にきちんと表示しておかなかったので、色々誤解を招いてきたと思います。

 うちは、ニートを「支援」するとかのNPOじゃないです。

 「支援」という言い方になったとたん「上から”俺たちのこうなれば幸せだよプランに君たちも従えたまえよ”と押し付ける」ものになるとわかっているので、うちは「支援」ではないのです。
 一方的に「何かをしてあげる」ものではないのです。

 「支援」という言い方は、助成金を申請する時くらいに使うものです。

 ただ、わかりやすくするため「ニート支援」という言葉はあえて使っていたこともあります。
 社会起業関連紹介とかね。
 
 でも、もうできるだけやめていったほうがいいかなと思います。
 助成金以外。

 少なくとも当事者に向けては「支援」という言葉を使わないようにしたいのです。

 一番は、色々と「ニート」当事者の人から「一方的に助けてくれるものだ」と誤解されることが多くなってきたので、それを解くためです。

 うちは「一緒に戦う」団体です。
 ブログでは何度も書いていましたが。

 うちの主旨は自営業作りと伴走者作り、体力作りの三本ですが、主旨に賛同することはもちろんです。
 しかしその上で、もしあなた(当事者)が、

 ■今の状況を「心底イヤだ」「何とかしたい」と思い、

 ■
何とかすることに、なりふりかまわないまでに切羽つまっていて、人前で自分の「恥だと思われている」履歴を語って支援を求められるくらいに切実で、
 
 ■未来へのビジョンがあり、

 ■ビジョンの実現に努力してきた過去があり、

 ■どうすれば実現できるのか考え、

 ■それに向かって目標締め切りを立て動くことが出来るなら。

 あなたが、そういう人であるなら、一緒に組みたい。
 そうでない「当事者」は、求めていないのです。

 だから「支援団体」ではありません。

 僕と、そういう「本当にどん底まで落ちた当事者」が共に戦い、共に支援し合い、共に自立してゆく、そういう団体です。

 「支援」というなら、一般の人からは、支援をしてほしいです。  だから「ニート支援団体」と言っています。
 「ニート(の僕らを)支援(してほしい)団体」という意味ですか。
 
 うちのNPOは当事者に「支援」はしません。


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 これを前面に出していきたいと思っています。
 
 今まで、中途半端で甘い書き方、表し方をしていた部分が多かったと思っています。
 自分の中でも、それにつられていた部分がまったくなかったわけではないでしょう。
 なので、今一度確認しておきたい。

 うちは「(不特定多数の)ニート(に)支援(をする)団体」ではありません。

 あなたが僕の志に共感し、本当になりふり舞わないくらい切羽詰まっていて、進むしかないことをはっきりとわかっているなら、一緒に戦う団体です。

 (結果的に、僕らが先に行くことで、ニートの自立の道筋を作ることになり、支援になりますが)