「観光甲子園」という、様々な地域の高校生たちが、地元の観光プラン(ビジネス化)を立てて
発表するイベントがある。
ツイッターで知ったのだが、グランプリの「島前高校」の動画を見た。
彼らは人口8000人のさびれゆく島に住む90人しかいない高校生たちだ。
このイベント自体が、なんとなくうらやましさを僕は感じた。
おそらく、様々な地域からエントリーしているが、彼らは地元に住んで、先輩たちは都会へ出、ますますさびれていく地元を(しかし自分も出なければ)となんとなく忸怩たる思いで暮らしているのかもしれない。
そこに「観光(コミュニティ)ビジネス」というソーシャルな手法で、元気にしようとしているのだろう。
それは、誰のためでもなく、自分、自分の生まれ育った自分の現実のため。
そうやって、プランを考え、(島根の島前高校の子たちは、プラン化させたらしいhttp://
彼らそれぞれの背景は知らない。
だが、プランを作っている時点で「孤独」ではなかったのだろうと感じた。
そして、堂々と未来を向いていると。
僕が高校生のころは、自分がとがっていられる居場所が欲しくて仕方なかった。
ここでは詳しく書くつもりはないが、本当に色々さまよっていた。
結局、ひきこもった。
そういう意味で「うらやましい」感情をどこかに持った。
島前の高校生たちのプランが「アリ」だと思うと同時に。
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彼らのプランは、島の名所の観光ではなく「人とのつながり」を作る旅にしようというものだ(詳しくは動画をhttp://
このイベントは実際にひきこもりがちだった神戸の進学校の男の子が一緒に作り上げていったものだと最後にネタばらししていたが、そういうものかもしれない。
思い出したのは、同じ島根の「吉田屋」http://
http://
彼女たちが素敵だなと思ったのは、
・地元の女の子たちが、しっかりと役割分担、同じ目標、しかし違う役割のもとタッグを組み、ビジネスとしても成立させ
・何よりも、地元の農家、おばあちゃんたちと、地道にしっかりと信頼関係を作り上げて行っていることだ。
ここでも、取材に行った時、自分は「ここを10代の時に知れたらなー」(なかったけど)という感想を最後に若女将に言った。
つながりこそが、悲願なのだ。
少なくとも、自分、自分のまわりの「ニート」「メンヘラ」たちにとっては。
もちろん「だからニートは田舎で働き隊に行け!」とは言わない。(当たり前)
それぞれ自分の「問題」があるだろうからだ。
この甲子園を見て感じたのは、イノベーションとは「地元(周り)との、そして仲間との」繋がり、絆なんだろうな、ということだ。
絆が無ければ、どんな「社会変革」も失敗するだろう。
なぜなら、絆の貧困こそが、(少なくともこの日本では)「貧困」だからだ。
僕たちは、それぞれ、自分にはどんな問題がある??
「だから仲間を、繋がりを~」とか、既存の「ひきこもり支援団体」(笑)のように安くプッシュするつもりはない。
それはむしろ、個別の問題を無視している時点で、害だ。
実は、自分の、そして自分たちの問題というのは、絆を作ってゆくためのパスポートなのだ。
問題を自覚し、自分の関係、まわりを変えようと決めた所で、あなたには「仲間がいる」。
だから「社会起業」という概念自体は、社会問題当事者にとって希望なのだ。
僕には僕の問題がある。
だから、シゴリエをうまく進まないながらもやってる。
僕の問題は、一緒に戦う仲間と、賛同する仲間と、そして実際に世間に受け入れられ進んでいく時に、氷が解けるようにゆっくり”解決”していくだろう。
そしてそれは、他の誰かの解決ソリューションでもあるのだ。
自分の問題を、楽しく画期的な手法で解決しようと進んでゆく人は、仲間だ。
あなたの問題は何??
僕は、それが知りたかったりする。
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