2012年1月27日金曜日

生きなおしたい

1、偏見をへらしたい

僕はすごく偏見持ちというか、思い込み屋というか
型にはめて、差別者です。
少なくとも、攻撃的な部分には、そういう所があります。

だけどそれでは、あまりに自分を狭めてしまう。
怒りを出すというのは、必要なことだったけど…。
これからも、きっといるだろうけど。

ライフリンク、育て上げネット、もやい…
彼らをはじめとする、若者、メンタル「支援」と言われる人たち。
僕は彼らを嫌いだ。
理由は僕という「当事者」が本当に求めるものを無視するばかりか、その大事なものを萎えさせるような動きをするからだ。
それは「一人の人間としての尊厳、勇気、自発性」だ。

だけれど…もしかして学べる所もあるかもしれない。
学べなくても、実際に知るのは、現実を知ったり反面教師にいいかもしれない(そんなものを求めてはいないが)
僕のまわりで、聞こえてきすぎる。

そういったもの、同じフィールドにありながら道も方法も目的さえ違うかもしれないものこと人たちに対して、頭ごなしに、見ず、怒るのをやめたい。

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本当は、すべて捨てて(置いといて)、東京から離れるつもりでいた。

生き方に、どうにもならないと思ったから。
人間性にも、仕事にも。
一からやり直せる所へ行こうと思った。
すべてから離れて…。

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2、このままでは終わりたくない

レンタル空手家をこのまま終わらしたくないと思った。

子供空手には、様々な子供が来る。
送り迎えしにくい(けど自信つけさせたいので試合に出れるほど練習をしたい・本人も)シングルマザーの子供。
発達障害で同じように教えられないけど、(皆一緒とは違う)教え方をすれば同レベルに伸びる子供。
視野狭窄で頭部へのショックやまわし蹴りが見えないので危ないけど続けたい子。

結局、彼らのニーズにこたえる方法が、今の道場システムだと無い。
少なくとも、僕のクラスや、僕のまわりの空手では。

「つよくなる」(自分にフィジカルな自信を持ち、精神的にまわりに余裕を持ち優しくできる)とは、本当に強くなりたい子のためにこそ必要なのでは。

今日も、そんなシングルマザーのお母さんと、最後まで残って少し話していた。

もう、道場へ、もしこじれたら破門覚悟で、新しいシステムを交渉しに行こうか…?

きっとそれは、今までの「レンタル空手家」の延長にあるもので、金銭システムも、まったく新しい(ソーシャルな)とこから持ってこなくては、広げられないだろう。

そして、それはレンタル空手家からはじめないと、説得もできない。

だから、レンタル空手(個別ニーズ対応)の、システム(経済面)を確立させなくては、ただすべてを放っておいて行くことになるのだ。
今まで、子供空手を経済の中心に置いて、食ってきた。

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すべては、営業、広報が、活動の中で必要だ。
それも、要は営業だ。
確実に言える。

今まで、様々なベンチャーが、営業ができなかったり、周囲だけに頼って、広がりを見せなかったり、しぼんだり、失敗してきたことを見た。

食えないか、営業で。
ソーシャル営業で。
(ソーシャルな事業を売り込み専門)

それには自分の事業をモデルにすることが先決だけれども。

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それでも、離れたい気持ちもある。

午後に書いた「去就」を3月半ばまでにまとめるのは、そのつもりだ。

すべて、やりなおしたい。
生きなおさないと、もう僕が僕でいられない。

去就

皇居マラソン遅れていてすみません。
今週末の試合終わったら終わらせます。
(試合:http://t.co/fsNIfmEH 極真千葉グランプリ 一般軽量上級)

3月の半ばまでに、今後の進退を決めます。
色々考えて、すべてにおいてです。

今のままでは、流されて生きてるなと思いました。
完全自活してから、どこか流されてきてる部分が増えてきました。

自分の生活、人間関係の持ち方から、仕事まで。

東京を離れることも視野にいれます。

試合は、4月頭の新極真全関東まで入れています。

今、移動中で、短くですが。
多少変わるかもしれませんが、基本的にはごまかせないことだと思ってます。


また、報告します。

2012年1月8日日曜日

終わった… 2

(写真は他に多くありますが、まだ写真NGの人の選別や、修正ができてないので未公開です。
とりあえず、ここは遠くから撮ってくれたり、モノ撮りをしてくれた、夢さんののみで。
後日、お楽しみに)


 当日、僕はまた遅刻して、主催者のくせに。
 ただ、まあ全然大丈夫なんだろうなと甘えていました。
 空手家のくせに20キロの米が重くてののやさんに迎えにきてもらった自分ありがとうございます。
 
 30分遅刻したら、もう皆さん集会所の地下についていて、作業がはじまっていました。

  

 おとといの夜、ようするに前日の夜、ギリギリで人が足りないんじゃないかと思って(連絡がつかなかったり、体調くずしたボラさんが出てきていたので)やっぱり10日前に知り合ったばかりの菅原さん(参加者さん)に深夜いきなり連絡して(体調微妙なのわかってましたが)「明日午前から来てもらえませんか?」と誘いました。
 ブログも、書いてくれていて、なんとなくわかってくれるんじゃないか的な甘えがあったからです。
 
 このイベントでは本当に色々甘えてきました。
 もう「いいや」とか思って。
 まあ、主に信頼している人や、女性に。

 結局、来てくれました。
 当日、来てくれたスタッフは
 
 コアの野口さん、今年4回目参加で、去年もコアスタッフ。
 長栄さん、当日リーダー、仕切り。
 当日朝やっと連絡が来て、集合40分前にボラ確定した、障害者格闘技選手の夢さん。
 ずっとスタッフ希望していて空手も時々一緒にやってたよつばさん
 さきほどの菅原さん。
 長栄さんのいとこさん。
 長栄さんのいとこのお友達さん。
 長栄さんの妹さん。
 当日は撮影の木村さん。
 授乳期の赤ちゃん前だっこしてくれてはるばる来てくれた、アミさん。
 (体力を考えて)昼から参加の、前回参加でもあった、これも体調崩してたけど前日無理やりスタッフに頼んだみちこさん。
 
 でした。

 

 くじを作って。
 地図をコピーして、蛍光ペンひいて。
 コアの3人で進行表見ながら最終打ち合わせして。(というかこの時にはじめて本当に詳しいことを共有したのかも)
 おにぎり炊きだして作っといて。
 そうめん汁の下ごしらえして。
 長栄さんいとこさんお二人にレンタサイクル借りてきてもらって。
 ボラさんたちにそれぞれ長栄さんが説明して。
 数人でマラソン後のすごろくの打ち合わせして。
 僕はなんか当日来る来ない人とかの連絡で(建物電波入らないので)外とか行ったり来たりしてました。

 

 

 途中で取材お誘いしたライターの池上さんが写真家の加藤さん連れでいらっしゃったりしました。

 もうなんやかんややってるうちに(もう長栄さん仕切りのののやさん補助で、僕は”なんかフラフラしてる人”)すぐに集合時間が来てしまうのです。
 
 長栄さん、菅原さん、夢さん、僕、木村さんの5人で集合場所へ。

 

 みんな地上広場にいないなあと思ったら、ビル内のスタバの椅子にすごいたくさんもうすでに集合してらっしゃいました。
 寒いからですよね。
 遅れてすみません。
 ビル外に出て、かなりすごい人だよな…50人だからな。 
 感覚もっといたような気がしたけどね。
 長栄さんが出席をとって、呼ばれてない人やドタ参の人が、チエックを入れて…45分くらいに皆で集会所へ。
 女性は地下で着替え、男性は和室のお仕置き部屋2つで着替えるのでした。
 
 長栄さんと木村さん以外は、残って、来てない人の確認電話や、待ち。
 55分までに何人かまた来て、残り3人ほどは連絡もつかないので、とりあえず戻りました。
 何かあれば僕の携帯は公開しているので(部屋の中は携帯つながりにくいですが…)

 今回、寄付があるので、参加費徴収にはとくに時間をかけて、皆すごい並んでました。
 時間かかって…13:30くらいからオリエンテーションスタートでしたね。
 ののやさんと長栄さんが、チエック。
 
 (この時点で看護婦さんがまだ来てないので、長栄さんはそっちも受け持っていてちょっとあたふたでした。でもふつーに笑顔でこなしてまじで頼もしい、というかすごい)
 長栄さんが司会をはじめて、オリエンです。
 
 
 
 二人一組のルール。
 体調悪くなった時は遠藤にかけること(電動自転車の看護士さんたちに連絡)
 ゴールテープの説明。
 俺のぐだぐだ挨拶、スタッフ紹介、池上さん紹介(取材されてるので、フェアトレード東北の説明にもなりました。)(前に寄付箱がおいてあるのですよね…)
 撮影されたくない人、取材されたくない人、OKの人たちそれぞれのフェルト目印渡し。

 

 そしてペアを決めます。
 10キロ、5キロに分かれて…。
 女性どうしがいい人にわかれて…。
 もしかしたら歩く人と、たぶん走りきれる人にわけて…。
 それぞれ、くじ。
 
 そして地図渡し。
 
 したら、トイレに行って、銭湯に出発です。
 銭湯は、いつも参加していただいてるOさんに先導してもらいました…。

 で、銭湯から広場に行く途中に、看護士さん一人到着の連絡があって、僕が迎えに。
 みんなは広場に。
 
 

 広場についたら、もう一人の看護士さん到着があって、長栄さんが迎えに
 (この間ゴールテープ忘れてののやさんが取りに行ったりもあり…)
 準備体操は、去年も参加してくれ、「それをきっかけ」に栃木で、あちこちの場所でみんなで走ろう!という栃木JOGプロジェクトを去年2回も開催した外松くんにお願い。
 引き伸ばしてもらったり、しなかったり…。
 
 

 で、看護士さんついて、記念撮影。

 看護士さん紹介。

 で、スタート。
 相変わらず例年の僕のスタート合図のやる気のなさ。


 木村さん撮影大変ですよね。(走り出す時とか)
 
 僕もとりあえずアイフォンで走りながら待ち構え。

 でもきびしいね。

 看護士さんお二人に、道々説明させてもらって、電動自転車押してもらって、長栄さん、ののやさんでペアで走り出してもらい…。
 僕も広場に戻りました。

 池上さんに取材を中途半端にしてもらいました。(けっこう早くゴールしてくるので)

 最初のトップは、2周組みのマラソンペアでした。
 で、一着は、ランフォー東北の方たち。(お話できませんでしたね…またいつか)

 その後どんどん到着していって、僕と木村さんで「ゴールの時はゆっくりとwww」などと言いながら撮らせてもらいました。
 写真NGの人もかかわらず、とりあえず。

 みんな結構ハアハアしてましたねー。
 まあそうです。

 外は寒いので、ゴールテープ持っていってもらった方から銭湯などへ。
 最後に、8キロの赤ちゃんを前だっこしながら完歩したアミさんペアがゴールして、ラスト。
 (すごすぎるだろ…)
 看護士さんたち、重い電動自転車ひいていただいてありがとうございました。
 
 集会所ついて、おにぎりおいしかったな…。
 そうめん汁も。

 

 
 
  

 参加者の人たちにも、握ってもらったり手伝ったりしてもらってました。
 じゃないと、もう、体調悪いのに、階段えんえんと往復してるみちこや、朝からずーっとエプロンして笑顔切らさず応対してるよつばが大変すぎるから!!!
 この二人…。 
 とくに、この二人、僕が思いいれあるからかもしれませんが、本当にありがとうございました。 
 走らず、集会所でご飯担当で。
 二人とも「当事者」です。
 みちこは去年後半震災で体調崩してから連絡できなかったけど、ひさしぶりに会えたらいきいきしてたし。
 よつばはレン空何回か受けてくれたり、僕がまともに応対できてなくて、でもこんなにずっとにこやかで動いてくれてるとは…。

 本当ありがとうです。
 
 おにぎり食ってる途中に、寄付先で、この米を提供してくれたフェアトレード東北のEさんが来てくれていたので、(ようするに、あっちで、利用者で、震災支援もし続け、この米も作った)挨拶、紹介してもらい、本当に、彼も正月寝たきりでいきなり動いて足をいためていたのに、来てくれて本当に感謝です。
 
 集会所の雰囲気も、例年、僕のこのイベントにありがちなように、(主催者のコミュ苦手ぶりをあらわすように)いいかんじに、気まずく、ぼそぼそあちこちでしゃべり、時どき一人になっては、またぼそぼそ…のような独特なかんじがあらわれていて素敵でした。
 
 アミちゃんの赤ちゃんが、岐阜から来た子にめちゃめちゃなついていて僕はシカトされて眼中にないのに抱っこされに行くので本当に憎かったです。
 毎年こういう、幼い子にモテるやつっているんですよね。
 去年とかも。
 あまりゆるせない。
 いいけど。
 別にいいけど。
 俺も少年部で幼稚園の子とかもってるし。
 赤ちゃんとかお母さんたちとかで慣れてるし。
 すごいよく触れ合ってるし。
 あまり気にしていません。


 いい感じに場がよどんで冷えだしたころ、そして雰囲気に耐え切れず帰りだしたり、用事の人が帰りだしたころ(残ったのは30人ちょいくらいか)

 すごろくをはじめました。
 去年もやった「聞きたいこと」を2つ各人が書いていくやつです。
 ますめに止まったら答えて、質問を受けるやつ。

 あちこちから笑い声が聞こえてきてとりあえずよかったなとか思いました。

 僕はそれ以前から、参加者さんにもらった酒を飲んでいたので、すごろくで質問に絡んだり、なんか、途中で寝てました。
 途中で、起きて帰る人にあいさつもしてました。
 なんか、寝てたので、昨日徹夜で来てくれた撮影の木村さんに席を乗っ取っていただいてました。

 で、その後、自己アピールタイム?に入ろうと思いました。
 
 参加者たちがカオスなので、いろんなやつがいるだろうから、交流のきっかけにと。

 栃木ジョグの外松君からはじまって、精神系のカミングアウトがどんどん続いてはじまって、(僕もいきなり指名したりしましたが)、去年も参加してくれた加藤さんの脳性まひと心の問題の紹介などがすごい感動しました。
 人前でさらすとかって、すごい本当に勇気がいる。

 そういえば今年は、ひきこもりのお母さんとかも来てくれてましたね。
 なんか今年やっと参加できたそうです。
 聞けばよかったかな。
 
 なんか前のほうでやたら拍手されていたので。

 で、だんだんすごいマジメな感じになってきたので、僕が(酒が残ってる)なんか雰囲気変えたくて、「プレ天下一無職会(ベータ版)」のおためしに。
 なんというか、クズ選手権、ダメなできごとカミングアウトなかんじです。

 えーと、これは完全この場でのオフレコなので、書きません。
 自分から手をあげてくれた方もいたので、うれしかったですね。
 僕が2番手くらいに言いましたが、反応が薄かったので、僕はクズレベルでも中途半端な真のダメ人間なことを思い知りました。
 
 ようするに、自分がいかにダメかをアピールさらしていって、一番素敵にクズな方を最後に皆が投票していって、1位を決めます。
 その際、(今回はプレ、なので、一人100円ずつ出していってもらって《もしくはそれ以上》)、半分は一位のお年玉、もう半分は、被災地フェアトレード東北の寄付になるというかんじです。
 クズぶりに感動して投げ銭してもらったら、みんながクズなほど、被災地が助かるというわけです。
 よかったですね。

 合計金額7000円集まっちゃいました…。 
 被災地に3500円いくわけです。

 一位は、(これフェイスブックにも書いてるからいいのかな…いちおうやめとこう)某おねえさんでした!!!
 やっぱり、女がちょっと本気だしてカムアウトすると、並のクズじゃかなわないよね…。
 だって、男は一人ひとりがクズかもしれないけど、そのクズを何人も、女性は向かい合ってたりするわけだからね…。 
 掛け算的にレベルが違うよね…。
 ガチ試合はやればやったほうがだいたい強いんだよね。

 で、一番クズなおねえさんは、「お年玉」も被災地に寄付されて(なんという前例…皆気にしないでください…)天使系クズとなりました。
 くそう。

 で、片付けして、解散。

 本当に、来てくれた人たちがいて、はじめて成り立つので(いくらスタッフががんばっても)(僕は真のクズですが)、本当に感謝です。
 続けて来てくれる人とかも。
 そんなことをちょっとしゃべって、なんか一本締めしろよと別のクズ選手に言われてしました。
 ひとりは、ひとりのために!


 終わった後、神田のクソ安い飲み屋に行って、残った当日スタッフ中心に僕のダメだしをしてもらいました。
 今回の。
 してもらいたかったので。
 Mなので。
 ドMなので。


 本当に…。
 スタッフは今回、女性ばかりで固めてしまいました。
 本当に、僕以外全員女性でした。
 (当日長栄さんつながりで来てくれた方一人をのぞけば)
 それは…詳しくは書きませんが、僕の問題が浮き彫りになってたと思います。
 
 男とかうざいし。
 ムカつくし。
 お前ら「支援」とかしたくないし。
 助けられたくないし。 
 
 きっと今後の課題になるんでしょう。
 それでも!
 男性の方たちは多く参加してくれ、全員本当に笑顔でやさしく、人間不信系クズの僕に「また来たいです」「とても楽しかった」と笑顔で去ってくれました。
 DISることも(当たり前ですよね)まったく無く。

 
 来年は…。 
 
 ねえ今言わなきゃいけないのかな。

 ただ僕だけのイベントじゃないと思ったよ。
 もう。

 僕がもうどうこう決めていいものじゃないのかもよ。
 もうそれは、いい意味で。
 本当にかつぎあげてくれて。
 本当にありがとう。
 来てくれてありがとう。
 支えてくれてありがとう。
 
 僕はいつまで、このイベントをやるのかな…?
 僕が、世界と仲直りできるまで…??
 
 それとも、その後も、俺みたいなやつがいたら、ずっと…?????


 わからない。
 ありがとう。
 
 今日もまた、詳しい報告は無しです。
 また。

 (写真 夢さん)

終わった…

終わりました。

 会場でも、振り返りでも言ったけれど、今回のイベントはとても僕一人ではできるものではありませんでした。

 今回、僕の状態はひどいものでした。

 最初から知っているコアスタッフの一部ならわかるだろうけれど…
 もう何ヶ月も前から、「もう皇居マラソンは嫌だ、今年はどうしよう、やりたくない、もうやめる」と言いつづけてきました。
 その準備も避けてきました。
 
 会場で聞いた声によると、去年が終わった時点から「いや、もうやんないから」と言っていたそうです。
 そうだったと思います。
 僕はホントにしんでました。


 「今回のイベントは、僕を助けるものにしてくれ」

 「ひきこもりを支援するどころじゃない、『僕を助けてくれ』」

 そうツイッターでつぶやいて(やけくそ気味で)、すると野口さん(ののやさん)が、それでいいんじゃない、とリプをしてくれました。 
 だけど、いったいどうすればいいっていうんだ。
 「『ひとりは、ひとりのために』ではなく、みんなは、遠藤のために、で集まってくれとでもいうのか。そのために走ってもらうなんて、いったいどうやって?どんな呼びかけ方で??」


 きっと、僕のワガママな動機でいいんじゃないかと思いました。
 誰も助けたくない、僕の思いだけを通したい。
 (だけど、そんなの、やる意味あるの…???)

 もう本当に、例年なら準備に本格的に入って進める(スポンサー探しに動いたりスタッフどうして案を出して動く時期)11月中旬に入っても、いまだぐだぐだ言っていて「いやあ、やりたいんだけど、やりたくなくて…」
 木村さんが、なんか見かねたのか、話を聞いて整理してくれたりしました。
 「僕は、もう誰も助けたくないんだ、自分の幸せのためだけに生きたいんだ。生きたい人とだけ生きたいんだ。不特定多数の多くの人を『幸せ』になんかしたくない!」

 それでもまら変わらず、相変わらずある種逃避して仕事や空手やらずっとやっていました。
 試合が終わった、12月3週目!
 やっと「もう固まってなくても、どうにかやらないと」と思って、いつもチラシを作ってくれたりする清水さんが、「今回手伝いますよ!」と言ってくれたので、色々ウェブとか、(もう僕は気力がないので)やれないもので、作る系のものを(サイト、チラシ…)をやってもらうことにしました。
 仕事が早くて、すぐに作ってくれました。

 野口さんの石鹸も、僕が言い出すのが遅くて、クリスマス明けにしか売り出せないことになっていました。
 それでも嫌な顔ひとつせず、淡々と積極的に作ってくれました。

 そ れ で も  
 乗り気がしない僕。

 木村さんに泣きついてました。
 「どうしてやらなきゃいけないんだろう、他に向き合いたいことがあるのに」

 「私は…遠藤さんがなんのためにやっているかは本当にはわからない。本当にやりたくなければ、やらないでいいと本気で思う。だけど、このイベントのために動いてくれている野口さんや清水さんにあまりにひどい。
 遠藤さんが大変なのはわかる。だけどそれを別にして、このイベントをおざなりな気持ちでほっとくのは、誰が悪いわけではないかもしれないが、許せない」
 僕はまだごちゃごちゃ言ってました。

 朝起きて、「やるしかないな」とは思いました。
 ここまで言われて、やらないわけにもいかないのかもな、と。

 メールを見ると、木村さんは、サイトの更新(細かいバージョンアップ)を淡々と進めていました。
 タスク表ができあがっていました。
 俺だけ動いてなかったんだよね。


 4週目、もうギリギリですが、ファンドにまわりました。
 マスコミに告知しました。
 頭下げる周りでした。
 「どうにか、体裁をととのえなければ。やってくれるみんなにも顔向けできない。
 例年のように、マスコミ紹介されて、今回赤字確定だからファンドでなんとかしないと、体裁が整わない。盛り上げないと、やるだけやらないと、最低は…」

 そんな気持ちで、どんどんあざとい広報をしていきました。

 「ニートが走って被災地を助ける!自分より弱い人に伴走、支援できる自分に気づこう」

 これは反発くうのも当たり前でした。
 2ちゃんでもまとめられました。
 内部からも反発きました。
 以前の僕なら、他の団体がこれやってたらキレてました。
 「これをみて、まだ渦中にいる当事者の人は、来たいとは思わないよね、下に見られてるよね。自分を本当に『弱者だ』と相当認められてる人しか来れないよね。拒絶しているよね」

 もうどうしようもない。
 じゃあどうすればいいんだ、盛り上げるために、そう言うことが、広がることだ。
 人数が、去年は100人だっただろう?
 それくらいは…。
 今年はフェアトレード東北に寄付だろう??
 集めないと…。


 ブチきれて「俺だってそんなことはわかってるんだ!がーがー言ってじゃあどうするってんだ、士気がなえるんだ!」と意見を言った人に怒鳴って電話を切りました。


 「もうどうしようもないわ…。こんなふうに、当事者であることの気持ちも忘れ、当事者であることを利用して進めるしかない自分にも嫌気もさす。でもそうするしかなくね?俺間違ってなくね??」

 ツイッターでイベントRTをしてくれていて、話しやすいアミさんに参ってぐちりました。
 たぶん、内容はどうでもいいことだったのかもしれません。
 僕がいっぱいすぎるということだけ感じてくれたのかもしれません。
 「何が大変なの?それ私やるよ」
 なんか、死んでたら、広報やってくれることになりました。


 自分の決めたことをてきぱき動くアミさん。
 僕が不機嫌ながらも指示を出し、すぐに動き、自分でも仕事を見つけファンドや広報にできる限り動いてくれる清水さん。
 会計で言い合いながらも、淡々と自分の受け持ち(参加費を下げる)をうけおい、石鹸を作って売り続ける野口さん。
 気づけばタスク表がわかりやすくなっており、ウェブサイトが誤解を招かないよう、よりわかりやすいよう、文や構成をいつのまにか直してくれている木村さん。

 
 僕は作業しては寝転がって、また作業しては寝転がって、みんなの進捗を聞いたり、進めていました。
 「やるしかないんだ」と。


 クリスマスから一週間くらい前に、「私手伝いますよー」と声をかけてくれていた、見知らぬ女性のメールをほっといて、自分勝手に「なんとか人を増やさないと、でもやること多すぎ、当日どうするの…」と考えていた自分がいました。
 年末4日前、やっと思い出して、連絡をとり、その次の日に、彼女、長栄さんにお会いして、受付、その他当日の運営をやってもらってしまうことを決めました。
 本当に明るく、テキパキ進めてくれました。
 ものおじしないで聞いてきてくれました。

 
 当日のことは、長栄さんに。
 広報は、アミさんに。
 ウェブや全体のビジョンは、木村さんに。
 当事者参加費と、会計は、ののやさんに。
 ウェブや細かい様々なこと(広報、ファンド、プレス…)、やってほしいことなど、補助は清水さんに。
 
 もう僕はどうしようもなくて、みんなの役目が決まっていました。
 ときどき「こうすればいいんじゃないの、今までこうやってきたし」
 と口出したりしましたが「いや今回はこれでいこう」と言われ、「そっか」と任せました。
 もう本当に、自分に余力がないことがわかってたからです、きっとお互いに。


 寄付で、湯島清水坂クリニックさんの二人の医師が、最低赤字分を補填できるくらいをガンといれてくれました。
 僕のまわりの、様々な友達が、声をかけてくれたり、いつのまにか、口座に振り込んでいてくれました。

 某忘年会などで知り合って、イベントのコンセプトに賛成してくれた人たちが、素敵なブログや紹介をしてくれました。
 ツイッターでどんどんRTされていきました。
 
 たとえ、僕が休んでいても、どこかでひっそり、誰かが何かを少しでも動かしていました。



 永栄さんは本当に動いてくれました。
 貴重な休みの年末年始…。
 色んな友達、方面に連絡してくれて、様々な要員、物資などをかき集めてくれました。
 しかも、当日のタスクや進行まで。

 アミさんも、100箇所以上をmixiで。
 年末年始の仕事の合間に、4日で。
 
 ののやさんは、石鹸を売り切って
 そして石鹸を買ってくれた人たちがたくさんいて
 3日前に、参加費500円になりました。

 
 前々日。
 当日のプログラムの細かい打ち合わせをするのが2日前という有様。
 
 しかもそういえば、誰一人、今回、顔を合わせたことがない…!!!!!

 皆、僕やイベントを通じて、という共通項だけで、メールやスカイプなどでつながってくれて、本当にどんどん進んできた。
 
 で、人員が足りない。
 前日、何人もの参加者や、ボラ希望者に、やっと詳しい連絡をして、当日、何をするかまだ割り振ってないけど、とにかく!! 来てくれ、と頼みました。


 夢さん。
 菅原さん。
 四葉さん。
 
 永栄さんの身内つながりで3人。


 いきなり、声をかけてよく来てくれたよ…。



 当日。
 僕は部屋を出る時に、(ああ、もう僕のやること、今回はもう終わっているのかもな、とものすごく冷静な気持ちになりました)
 たぶん、僕が行かなくても、進む。このイベントは。
 僕はそれを確かめに行くだけでいい。
 うっすらですが「信用できてるな」と思いました。
 今回のスタッフ、ボラさん含めて、みんな。
 いつもは、当日が本番で、僕がてんぱりながら、色々仕切って、動かし盛り上げなくてはいけなかったのです。 
 でも今回は、ゆっくり、見てて、楽しめるんだろうなと(やってくれる長栄さん他スタッフたちには失礼な話ですが)

 
 当日は、また当日報告ブログかサイトで書くと思いますが、本当に安定していたイベントでした。
 今までで一番。
 本当に僕はいるだけでよくて、料理手伝ったりもせず、誘導もせず、司会もせず、走りもせず…時には寝たりもしてました笑

 いったいなんだっただろう。


 今回のイベント、本当自分は、ダメでした。
 もう、本当に「助けて!」と撒き散らしていました。
 ダメですから。
 クズですから。
 本当は、僕が助けてほしいのに、「助ける」みたいなコンセプトを一見前面に出したものをやってるのですから。

 ずっと前、「助けて!」と言った時は、僕をあわれに思って、みんな走りにきてくれよ!別に来なくて喪いいけど!別にね!!
 ということだと思ってました。
 だけど、違った。
 
 助けてほしかったのは、僕がこのイベント自体を楽しんで作ることで、あまりにつらそうで、あまりに手順がなってなくて、あまりに思いがへタレで、あまりに、主催者としてもうダメなかんじだったので、たぶん…。

 皆が、このイベントを、僕自身を、支えてくれたのだと思います。
 僕が、やろうとする、そのこと自体を。

 僕は立ってられなかった。
 いまだに今年の納得いく自分の中でのコンセプトなん立てられてやしない。
 でも、
 でもみんながどんどん引っ張ってってくれた、押してくれた。
 僕一人では立てなかった、僕一人では、確実に、走れず、ゴールできなかったのです!!!!


 ゴールさせてくれてありがとう。

 僕を、やりたかったけど、苦しくて、いきつこうとできなかったところに、ひっぱりあげてくれて、同じように、僕以上に、動いて、がんばってくれてありがとう。
 僕がなにもできなくても、
 ひとりでは、立とうとする意思さえ、もう持てなくても
 いつのまにか歩き、時には押し、背負い一緒に進んでくれてありがとう。

 僕は、今年、こんなに、どうして成功したか、ということは、僕がみんなを、本当に信じることができたからだと思っています。

 今までも、「成功」していたのかもしれない。
 でも来てくれる人も、手伝ってくれる人も、僕は壁をつくって、線をひいて、一人で、がんばりたがっていた。
 でも、もう、無理だった。
 そんな自分勝手な自分なのに、成功させてくれてありがとう!!!!!





 今はもう書くことがありません。
 疲れていることもあるんでしょう。


 だけど、僕はこのイベントをやっていていいんだな、と思いました。 
 今、思っています。

 みちこ 
 よつば
 ながえ
 きむら
 ののや
 あみ
 しみず
 ゆめ
 すがわらさん
 ながえいもうとさん
 ながえいとこさん
 ながえいとこさんのおもとだちさん
 


 まずスタッフに、ありがとう


 今日は寝させてください。
 明日も、報告はないかもしれないです。
 すみません。
 休みたいのです。

 
 ありがとうございました。