2011年4月16日土曜日

「被災者」という特別な人はいない/前に進む力

 原発10キロ圏内から避難してきた人たちのお花見に行ってきた。
 お花見じたいは短かったし、すごく遠い場所だったのだが、行ってよかったと思う。
 
 千葉のお寺で、その人たち以外は誰もいなくて、桜が舞いまくって、池には花びらが全面浮いてて、景色が浮世離れしていた。
 
 ちょうど、皆が来て、3週間ほどたったという。
 支援等してくれている農家さんたちも呼んで、ちょっと一つの継ぎ目にしたいようだった。

 ここ何日かで、他へ移る人、原発の仕事に呼ばれ戻る人など、出てゆく人も多いようだった。
 リーダーで、原発仕事に行く人は、ここでの日々は、避難所からは信じられないくらいの天国のような日々だったと言って涙ぐんでいた。
 だけど、戻って原発を守りに行くのだ、明日。
 福島の人たちを救いたい気持ちもあるのだと。

 副リーダーの人も、某所へ移ることになったと。
 自分で立てた自営の店が、もうずっと、戻れることはないと、思うのは、本当に絶することだろう。
 笑顔でずっと話してくれたが、彼らは本当に安いが、仕事をしていた。
 何かしていないと、後ろを向いて、自分の中に入ってしまうからと。
 ひきこもり等のことも一緒に話してくれた。
 同じところがあると。

 残った人たちをまとめるのは、まだ若い男の人の役目になるだろうだった。
 よく覚えてる。
 「これから30年、チェルノブイリとかで、土地は使えなくなると。思った時から、腹くくった」
 彼はこの地でも色々仕事、バイトをどんどんしている。
 
 他の人たちにも聞いたりした。
 福島の施設に戻る人も。 
 支援者は言っていた。
 「これから自立してゆくしかないのだと。補償をあてにしても、がんばるしかないのだ」と。
 
 僕には、どちらなのかは、わからない。
 ただ、思ったことはあった。
 
 ニートもひきこもりも僕も、この「前に進む力」が、本当は、何か、ずっとなんとなく、知りたかったし、感じたかったし、つかみたかったのかもしれなかったと。

 いろんな人がいる。
 だが腹をくくって前に進む人が「自分の人生」かもしれない。
 僕は、彼らの立場には立てないが、「ニート」と呼ばれてきたものとして、そう思う。
 だから、ここには、また行くだろう。
 そんな気がする。

 












(人うつしてるのは載せません…)



 残金、1400円。(交通費おみやげお酒とか他で、すごい減った)
 明日入らなかったらやばい。
 まあいいさ。

 4/16 取材(ものすごく予備) 自主トレ

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