2009年2月22日日曜日

男樹

「自分の根を下ろす場所なんざ、所詮こんなとこだと思ってさ」

僕の大好きなマンガ家、本宮ひろ志さんの「男樹」では主人公がこんなセリフを吐きますが
根のおろしどころ、ってのが命にはあるのでしょうね。

4時か5時に寝て、10時に起きる。

一日中、ネット作業してた。

主に子ども空手の資料や、新しいホームページ作りなど。

ひと段落して、少し寝てしまった。

夜、1のチャットで少し話していたのだが(恒例)
「根の下ろす場所」

居場所、っていうのは、住む家だったり、家族だったり、する人もいるだろう。
たぶん、自分の魂が落ち着く場所、だと思うんだよな。

そんな話を少しだけして、一人になって考えると、たぶん、僕の「居場所」っていうのは場所じゃない。

正確に言うと、稼ぎ方そのものでも本当はなくて、「生き方」に近いようなものだと思う。

ああ、なんだか恥ずかしいな。

ヒキ時代のころ「恩讐の彼方へ」という菊池寛の小説を読んでいた。
大分かどこかの岩山で通れない道を、コツコツとのみで、一生をかけて掘り続ける禅僧かの話だ。
青の洞門、だったけな。

自分の満足行く人生のために、少しづつでもいいから、先へ進んでいきたい、いければと思う。

それしか、ないのだから。

そして、それが僕にとっての「居場所」のような気がする。

清潔で、たとえ金がなくても、自分の思いだけはまっすぐに立て。
世の中のせいにするもんじゃない。自分を磨け。
もし世の中が嫌だったら、自分で変えろ。

人を見る前に自分を振り返れ。
人への憎しみは自分の鏡。

あの頃、思っていたことだけは正しかった。

あそこへ戻りたい。

そういう生き方こそが、安息の気がする。


「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長は言ってたよな。
「明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ」


もうひとつ。
「男とは、命を与えられた死である。それに誇りを与えることが、宿命と名づけられる」(ウィリアム・サローヤン)



この日記は恥ずかしくて消すかもな…
でもそんなこともないだろう。

--

追記

僕は自分で空っぽだと思う。
自分の中に、何もないからこそ、社会に変えられるような人間を生み出すことを
続けていきたいのかもしれない。

社会起業家にシンパシーを感じるのも、一つにはその部分がある。
「俺には何もないんだよ…だけど、だからこそ大きく羽ばたきそうな人間をサポートしていってやりたい」
と言ったのは、コトバノアトリエの山本さんだったか、それとも男樹の登場人物だったか…。

ライターなんてのは、僕はコミュニケーションが苦手なので、それの勉強、修行になるだろうと思ってはじめたことだ。
だから、今だにビビっているのかもしれない。

自分の中には、何もない。
何か「情熱を燃やしつくせるようなもの」など、実はずっと、持ってはいなかった…。
ずっと欲しかったけれど…。

だからこそ、次の世代につながる者を育てたい。
一人でも、夢に燃えて、新しい社会の礎になれるような人間を…。



妄想だよ。

朝になったら、恥ずかしくて消すさ…。



でもそんなこともないかもな。


ララバイ・オブ・ユー

2 件のコメント:

  1. 落ち込んでしまうだけの時間は駄目だけど、
    こうやって考える時間を持つ事って大事ですよね。

    返信削除
  2. そうですね、松任谷正隆の歌に
    「後ろを振り向くなと人は言うけれど
    僕は振り向く どこから来たかを知るために」

    みたいな歌詞があって、さすがユーミンの夫、と思った記憶があります。

    返信削除